3-お姉ちゃん、頑張る(涙)-08

「あはははは、出禁をくらってしまったか!」
 オルウェンが最高に面白いジョークでも聞いたみたいに腹を抱えて笑った。
「……終わった……人生終わった……」
 ぐすっと鼻をすすり、ひんやりとした窓に凭れてもじもじと窓枠をいじる。桟は埃でざらざらとしていた。ルナを救出してからというもの、私たちは人目を憚るように王都の片隅の安宿に居座っている。
 悪い予感は当たっていた。ルナの好きな人というのは司祭(仮)のことだった。しかもルナが一目ぼれしたらしい。
 司祭(仮)は激烈可愛いルナに言い寄られてハニートラップを警戒していたし、年齢も年齢なので犯罪になりはしないかと怯えていた。これでは「汚らしいロリコンがいたいけな妹を誑かしている=射殺せねば」という方程式が成立しない。むしろルナに、
「『クレメルを襲撃しない』って約束してくれないと会わない」
 と宣言された。お姉ちゃんの意志も、ついでに司祭(仮)の意志も華麗に無視だ。思い込んだら猪突猛進なのは、いったい誰に似たんだろうねぇ。乾いた笑いが止まらない。
 警察車両略取をはじめとする司祭(仮)の一連の命令違反はお咎めなしとなり、これからもこの国にいられることになった。なにせ、やつに「指名手配犯」の追跡を命じたコンサルタントがいなくなってしまった。それに徹頭徹尾王子を救うために行動していた。上役もその事実を認めたようだ。
 それなのに、やつは敢えて仕事を辞めた。せっかく首が繋がったのに、もったいないことといったら、ヘッドショットの一発でもぶち込まないと気が済まないくらいだ。そうじゃなくてもぶち込みたい。
 どこかに行く宛でもあるのだろう、今は引っ越し準備をしている。ルナはおねえが迎えに来るまであいつのところにいるらしい。こうして私が無気力な時間を過ごしているあいだも、司祭(仮)はルナのあんな姿やこんな姿を見放題だしおさわりし放題だ。これが敗北、あるいは絶望というものだろう。
「……この世にもう未練はないよ、お父さん、お母さん、すぐに私もそっちに行くね、待っててぇ……へっ……へっへっ」
 埃をいじいじしすぎてくしゃみを催す。四回ばかり衝動を我慢して、五回目で盛大に
「ぶぇえええくしょん!!」
 と、噴き出した。ついでにオルウェンも噴き出した。私のしょげかえった姿が面白くて面白くて仕方がないと言わんばかりに。
「へへへ、元気出しなよ。君はもうちょっと妹さんの言い分を聞くべきだ。そうすればすべて丸く収まる……ていうか、親じゃないんだから放っておきなよ」
「ルナは、まだ子供です!」
 と、吠えたとたんに涙と鼻水が溢れてきた。
 悔しさに歯噛みをしながら、袖口で乱暴に拭った。
「妹さんだっていつまでも子供じゃないんだ。過干渉なのは嫌われる」
「いつまでたっても私の妹ですぅ!」
「やれやれ、親バカみたいなこと言ってら」
 オルウェンが肩をすくめた。
「ところでさ、僕はそろそろ国に帰ろうと思うんだ」
「はいはい、ご勝手に――」
 と、かるくあしらいかけて、ついで言葉の意味を理解して、ぎょっと顔をあげた。私の態度が不審だったと見えて、オルウェンは困ったように小首を傾げていた。
「仕事、終わったからさ。あんまり長居するとボスにサボりを疑われる」
「……そうだけど」
「そうだけど、なに?」
 と、オルウェンは笑顔で意地悪に返す。
「急にそんなこと言われても」
「急じゃないでしょ。むしろのんびりしすぎたくらいだ」
「そ、そうだよね」
 自分の声がしょげかえっているのに気づいて、狼狽える。これでようやくくそったれなおっぱい星人とおさらばできる。喜ぶべきことじゃないか。ストレスフリーの一人きりの生活が待っている。そう。ルナもいなくなって、仕事もない、正真正銘の孤独(シングルライフ)だ。
 目の奥がうるっとしてくる。私、きっと涙が出るほどうれしいんだ。そうだよな。
 オルウェンがあゆみ寄ってきた。頬にそっと手を添える。魔力の柔らかなささめきが伝わってきて、どうしようもなく身じろぎをした。
「どうした? 僕がいなくなると寂しい?」
 そんなことないッ! と言い返そうとして、声が潤んでしまいそうで、慌てて飲み込む。
「寂しいよって顔してる」
 声が出ないから、代わりにぶるぶると首を振った。
「僕のところに来る?」
 と、オルウェンが半笑いで聞いてきた。
 びっくりして顔をはね上げる。なんて言った? それってどういう意味? 混乱した勢いでいろいろ聞こうとして逆に声が詰まる。オルウェンがちょっと残念そうに眉じりを下げる。
「嫌ならいいんだよ。無理にとは言わない」
「……そ、そ、そ、それは、つまり、つ、つ、つ、つき合うってこと?」
「はっ?」
 オルウェンが、急に真顔で聞き返してきた。
「えっ? あっ、違う!?」
 そして自分がうっかり滑らせた恥ずかしい質問に、遅ればせながら赤面した。
「あー誤解を招く言いかたをしたかな? ごめん。そういう意味で言ったんじゃない」
「そ、そう……そっか、ち、違うのね……そうだよね……」
 羞恥のあまり語尾が萎れる。もうダメだ。恥ずかしくて死ねる。もう挽回できそうにない。お父さん、お母さん、まっててね。イヴリナはもうすぐそっちに……
 いきなり二の腕捕まえられて、心臓が止まるかと思った。
「おーい、大丈夫? しっかりしろよ!」
「ふぁあいっ!?」
「ほら、こないだも言ったでしょう。連邦の採用試験受けてみたらって」
「あ、ああ、そっち……」
 そういえば、人生がなんたらとか偉そうに説教垂れてたのを思い出す。
「でも、お金ないから、貯めないと……」
 どうやって? 真っ先にそんな疑問が浮かんでくるけど、考えるだけ無駄っぽい。
 オルウェンがいないと、私はなにもできない。家に帰るお金すらない。その先の生活費は、もしかしたらおねえが助手に雇ってくれるかもだけど、私はルナと違ってお店は向いてない気がする。
 先のことを考えると、しょげかえる以外になにをしてよいのかわからなくなる。許されるのなら、時間が欲しい。現状を受け入れて、対処法を考えるに足る時間と余裕が。
「お金くらい、僕が貸してあげるよ」
 と、オルウェンがこともなげに言った。
 やっぱり言われたことがピンとこなくて、
「うん、ありがと」
 と、かるくあしらおうとして、すぐに言葉のありがたみに気づいて、思わずオルウェンの顔をまじまじと見返した。
「――あの魔法のカードで?」
「ごめん。あれは支給品だ。僕が個人的に援助してあげるって言ってるの。大したことはできないけど。君が採用試験を受けに行くのを応援するくらいはできるよ」
「ほ、ほんとに?」
 こわごわと、でも真面目に聞くと、オルウェンは、ほんとほんと、と軽い調子で答えた。
「なんでそんなに親切にしてくれるの?」
「そりゃ、君に見込みがあるからさ」
 と、めちゃくちゃうれしいことを、なんでもないことのように言ってくれる。私はぎゅっとオルウェンの手をつかんだ。
「許すわ」
「??? なにを?」
「実は良いおっぱい星人だったのね」
「うん。まあ良いおっぱいは好きだねぇ」
 えへへと顔を赤らめてもじもじとしはじめるオルウェンに、私は前から気になっていたことを聞こうと思いついた。恥をかいたついでだ。ついでにもう一つくらい恥をかくなら今だ。でも恥ずかしくてうじうじしてしまう。でも、気になっていたし、聞かないまま帰国されてしまうのも悔しい……もういいや、勢いで行こう! たぶんいつお願いしても恥ずかしいから。
「あ、あのさ、オルウェン」
「うん、それ偽名なんだけど。まあいいか。なあに?」
「私、えっと採用試験? 受けに行くと思う」
 すると、オルウェンがガッツボーズした。
「よっしゃぁあああ、ノルマ完遂! ファーレンに来てよかった!」
「?????」
「いや、気にしないで。こっちの話」
「あ、あのね、帰る前に、一つだけ、魔法教えてもらいたいの」
「任せなさい。採用される可能性を少しでも高めるために、僕はなんでもいたしましょう」
「えっと、あのね……おっぱいのおおきくなる魔法教えてほしい」
 オルウェンが笑顔を凍り付かせる。
「教えてくれるって言ったよね。知ってるんでしょう? おねがい。教えて」
「僕は良いけど、君は本当にいいの?」
 急にオルウェンが男っぽいオーラを放ちはじめたのでぎょっとする。
 ちょっとびっくりして後ずさりしかけるも、すぐに距離を詰められてしまう。こうやって本気で威圧感出されると、なんだかうごけなくなる。あのグリフォンの気持ちがちょっとだけわかった気がした。問答無用で手をつながれた時も同じような圧力を感じた。彼の魔力は圧倒的なのだ。それを有効活用しようともしない風ではあるけれど。
 私はこくりとうなずいた。
「そう、じゃあ、回れ右して」
 言われたとおり、くるりと背中を向けた。
「両手上げて、ほら、ばんざい!」
 ばんざいする。
「本当にいいんだね」
 と、また意味深に聞かれて、こわごわとうなずいた。
「怒んないね?」
「はやくしてよ」
「怒んないって約束して」
「うん、わかったから、腕が疲れちゃうよ」
「よし。じゃあいくよ! 絶対に怒るなよ! 君がそうしろと言ったんだからな!」
 次の瞬間、おっぱいをもにゅっと鷲掴みされた。

 王都の空を超低空飛行してくる物体がある。それは、ある安宿の前に降り立った。首をかしげて階上を見上げる。そして確信をもってとある窓に向かおうとしたそのとき、窓ガラスが割れて、銀髪の男が降ってきた。
 通行人が悲鳴をあげて逃げる。それを追って少女も降ってくる。二人とも高さをものともせずに着地して、逃げようとする男に少女がバインドをかけた。男がずるっと地面に転がる。
 グリフォンが二人に向かって警声を発する。少女が掌に魔力をためて、銀髪の男に投げつけようとしたところに、制服姿の男が、彼女の肩を叩いた。
「なに?」
 イライラと少女が向き直り、制服姿を目の当たりにしてぎょっと顔を強張らせる。
「路上で人に拘束術をかけるは、特別条令で禁止されている」
「でもこいつが!」
「いいから来なさい」
「ちょっと、一発殴らせて!」
 じたばたしながら引きずられていくイヴリナに向かって、やっとのことで、バインドを解いたアルフレッドが声をかける。
「おまわりさん、その子を放して、僕は大丈夫なので……って、行っちゃったか」
 通行人は、彼とグリフォンとを避けるように通行人が流れていく。
「やれやれ、厄介なものを拾ったかもしれないな」
 アルフレッドはグリフォンに向き直った。
「ははは、君も僕のところにくるかい」
 グリフォンが体を擦りつけてくる。彼もまた、それに応えて頭をなでる。
「それじゃああの子に世話を任せようか。生物の知識に乏しいようだから、勉強させないとね」
 アルフレッドは割れた窓を見上げて、ため息を漏らした。
 騒ぎを聞きつけ、宿の主人が走り出てきた。三階の窓からは主人の奥さんが顔をのぞかせる。
「きりきり働かせて、弁償させないとね」
 グリフォンが甘えたように小さく鳴いた。アルフレッドはからからと笑った。
「大丈夫。やると決めたら突っ走る子だから、すぐに優秀な猟兵になってくれるよ」
 グリフォンは返事をしない。ひっきりなしに首をかしげる。小ボスの姿は見失ってしまったが、大ボスを見つけられて彼は幸せだ。

– 了 –