3-お姉ちゃん、頑張る(涙)-07

 幾千もの矢が降りきったとき、頭上の不気味な闇夜は消えて、もとのありきたりな高天井に戻る。熱風と重い魔力の波動が怒涛の渦を巻いて混ざり合う。それらがきれいに晴れたとき、アルフレッドは防御の姿勢でもといた場所にいた。銀髪がはらりと舞い、むき出しの手首からつぅーっと血が滴り落ちる。
 前髪の奥に光る眼が一瞬赤く燃え上がった。
 薄ら笑んでいたオズワルドの顔から、笑いが消える。アルフレッドは彼らの間の隔てる幾多もの使徒の身体を切り刻み、一気に間合いを詰めた。
 オズワルドがつぶやいて、彼の隣の空間がまたゆがみ、ゆるゆると白い巨体が、姿を現す。けれどもそれは、体すべてが出尽くすまえに、頭から崩れていって、地面にぶつかった。アルフレッドの姿はない。あたり一面、召喚した死霊たちの残した霊気だけが燻っている。
「雑魚を何匹当てようが無駄だ」
 底抜けの冷気を孕む声とともに、オズワルドの首筋に冷たい剣筋が当てられる。いつのまにか背面をとっていたアルフレッドが続けた。
「手間かけさせんなよ、クソ親父。ツーショットが気に入らねぇんなら、こいつを証拠に持って帰るぞ」
 頭をぎりぎりと鷲掴みにする。オズワルドが詠唱しかけると、アルフレッドが、のどに刃を押し付けた。オズワルドは舌打ちして、胸の内ポケットに手を突っ込んだ。
「――とはいえ今は殺しはしない。僕にはあんたを殺害する権限がないものでね。まったく、今だけはあんたらみたいに自由(フリーダム)にやりたいよ」
 ふっ、とオズワルドが力を抜いた。
「そうか、皮肉にも非効率な国家経営によって私は命拾いしたというわけか」
「効率悪いのも悪くないだろ。人生長いからさ、ちょっとばかりの寄り道もたまにはいいさ。今は大人しく連行されよう? これ以上、あんたとべたべたくっついていたくないんだよ」
 オズワルドが哄笑した。
「ははは! 私も同感だ!」
 鍛えられた腕を振り上げる。アルフレッドは弾き飛ばされた。腕力のみでそうなったのではなかった。彼の手には、胸ポケットから取り出した小型の攪乱装置がある。
 アルフレッドはなんとか踏みとどまり、それでも平衡感覚を失ってその場に崩れた。
 拘束から解き放たれたオズワルドもまた、こめかみを押さえ苦悶の表情で叫ぶ。
「我が使徒よ、みなここに集え!」
 遠くから地鳴りにも似た唸りが迫ってくる。
 だが、それは途中で打ち消された。オズワルドは顔をこわばらせた。アルフレッドは依然頭を抱えてうずくまっている。
「なんだ、この異様な力場は――」
 オズワルドは深視界(ディープアイサイト)を展開した。
「王子の居室?」
 そこに走りこんでくる、人影が一人。
「オズワルドさま、殿下が暴走をはじめました」
「なんだと?」

 王子の居室に駆け付けたオズワルドは愕然とした。正確には居室なんてものは存在しなかった。あるのは上層階がふっとんだ屋上のような空間、そこに銀髪を逆立たせた女が立っていた。対峙する黒い巨体。彼が生きながらえさせている王子が暴走した姿だ。
 配置したはずの憲兵の多くは姿を消していた。その場に残っていた数人は、満身創痍で放心したようにへたり込んでいて役に立ちそうにない。
 その頭上に有翼の怪物の影が過る。キェェエエエエエエエエェっと、咆哮と呼ぶにはいささか甲高い警声がからりと晴れた闇夜に響き渡る。影は大きく旋回しながら、闇夜の帝王のごとくゆっくりと降りてくる。下界の喧騒を知らぬげに、月光が瓦礫の山を清らに照らしている。
「死臭がする……」
 と、女が妙に低い声で唸った。無骨な鋼の筒でもって、静かに、そして確かにオズワルドの眉間を狙っている。その眼は熾火のように淡く光を帯びる。彼女もまた、視界を極限まで深化させているのだ。目を血走らせた銀髪の女が、憤怒する鬼神のように歯を剥いた。
「お前は、ネクロフィリアか……?」
「お前は誰だ」
 投げ返された質問には答えず、銀髪の女は鼻をすんすんと動かす。
「死臭がする」
 オズワルドは気圧されて後ろに下がる。銀髪の女の後ろには、黒髪の少女がいて、おびえ切った眼差しを女に向けている。髪の毛の色がちがえども、この女には見覚えがある。
(……イヴリナ、あの小娘か?)
 目を逸らしたらその場で撃たれる女を見据えながら足場を探す。建物の下ではすでに逃げ散った連中が、不安そうにこちらを見上げている。オズワルドはため息とともに怒りを吐き出した。後ずさりする。女もじりじりと距離を詰める。ガラッと瓦礫を蹴落とす。そこで床は途切れていた。オズワルドはペン型の小型仕込み杖を掲げた。
「出でよ我が使徒、闇を統べるはそなたの翼」
 青白い閃光が迸り、夜空を穿った。おどろおどろしく弾ける紫色の輪が弾けた。巨大な怪鳥の骨格が再び現れ、直上に射出される。女が激高した。
「変態(ネクロフィリア)には死あるのみ!」
 咆哮じみた雄たけびをあげ、銃口から光を迸らせる。
「させるかぁっ!」
 オズワルドの怒り声とともに怪鳥の骨格が急降下する。さながら生身の鳥のように翼を窄め、弾丸のようにイヴリナめがけて急降下してくる。自らを使役する死霊術師もろとも吹き飛ばす勢いで。その弾道に絡まるように、もう一筋の軌道が乱入する。怪鳥よりはいささか飛ぶのに不向きなシルエット。イヴリナをここまで乗せてきたグリフォンだ。
 イヴリナは底光りのする目を怪鳥に向け、迷いのない動作でファントムを据えて発砲。弾は虚空に舞い、鋭い放物線を描いてルナの足元に落ちた。
 ルナが悲鳴を上げてへたり込む。怪鳥とグリフォンはお互いの羽をもつれさせながら地面に向かって滑っていく。黒い巨体と化した王子が、おもちゃを見つけた子供のように、吹き曝しとなった三階部分から無邪気に飛び降りる。
 初手を封じられても、イヴリナは眉をぴくりともさせなかった。いま一人の獲物に改めて銃口を据えなおす。オズワルドは杖を構えて笑っていた。構わず発砲しようとしたイヴリナの背後から、白い骨の腕がにゅっと現れ、彼女の顔を鷲掴みした。みるみるうちに骨の兵士に締め上げられる。
「貴様はなかなかやる。だがここまでだ。死して我が使徒の列に加わるが良い」
 勝利を確信したように、にやりと歯を見せる。小手先の技ばかりのトリッパーにも、勇ましいだけの小娘にも負けるわけがない。彼の力はとどまるところを知らず、使徒は地面から無限に沸き上がりイヴリナを包み込む。そして娘の若くやわらかな肉体を揉み潰す。その感触を想像し、オズワルドは卑猥な衝動に戦慄した――
 骨の山が軋んだ。ボコッと盛り上がり、擦り傷だらけの腕が一本突き出される。もう片方の腕も。そして彼女に纏わりついていた骨は粉微塵に吹き飛んだ。月明かりに照らされて、破片がキラキラと舞って闇に溶ける。
 イヴリナの手には骨片が握りしめられていた。それを放り上げ、全魔力でもって弾く。
 ついで爆轟。共鳴室を伴わないせいで、月明かりもろとも闇夜が消し飛ぶ。
 オズワルドはとっさに視界の光を絞った。深視界は維持する。骨片が飛んでくるのを把握する。シールドを展開する。力任せに弾いたのだろう。弾速が常識はずれだ。普通の硬度でシールドを展開したら、あっさり破られて無骨な凶弾に倒れることになる。
 オズワルドは慌てずシールドを軟化させた。
 高い運動エネルギーを帯びたまま、骨片はシールド圏内に突っ込んだ。そして弾はオズワルドの鼻先にまで到達した。そこで止まった。シールドは、かろうじて持ちこたえ、侵入しただけのエネルギーでもって弾いた。力任せの攻撃など、取るにたらない。
 ――取るに足らぬはずなのに。
(そ、そんな馬鹿な、なんて力だ)
 その恐ろしい衝力を、悟ったときにはすでに手遅れだった。壁も天井もなくなった三階部分はさながら全方位対応の射出台と化した。オズワルドを包んだシールドは爆風を伴ってミサイルのように吹っ飛んでいった。

 男の哀れな悲鳴が急速に遠ざかり、遠くばしゃんとかすかな水音が上がる。
「お姉ちゃん! お姉ちゃん! ねえ、もうやめて!」
 ルナが目いっぱいの声で叫んでいる。イヴリナは無視して地上に伸びている黒い巨体めがけて飛び降りた。陸からの風にあおられ、わずかにそれた。川のほうから、グリフォンの荒々しい警声と骨が砕ける音とが聞こえてくる。どうやら王子は二羽のじゃれ合いに混ぜてもらえずにノックアウトされたようだ。ファントムを振り上げ、ザシュッと地面に着地して、イヴリナは黒い巨体に迷わず狙いを定めた。屋上から、ルナの叫び声が聞こえてくる。
 けれど風に紛れてイヴリナには届かない。
 衛兵たちがイヴリナに呼びかけている。イヴリナは聞く耳持たない。ファントムの簡便な共鳴室めがけて、魔力が叩きつけられ、生ける骸と化した王子のこめかみに弾が撃ち込まれようとしたそのとき、イヴリナの背後から手が伸びてきて、こつんと頭を小突いた。
「ぃ……てっ」
 今までの覇気が嘘だったように、イヴリナが間抜けな声をあげた。銀色に燃え上がるように逆立っていた髪の毛が、急に光を失って、しおしおと垂れた。
「ばか、殺すんじゃない」
 アルフレッドが、かすれ声で言って、イヴリナの頭を掴んで押しやる。イヴリナはあたりをきょろきょろと見まわした。
「えっ、ここはどこ? ルナは?」
 アルフレッドは答えず、ポケットの中身をまさぐりながら黒い巨体に歩み寄った。
「頭は……っと。こっちね。口は? うん。いいね。そのまま半開きのままでいてね」
 返事をするはずもない相手に、一方的に話しかける。ポケットから取り出したのは、つぶれたクッキーの小袋だった。あたりにケミカルな刺激臭が漂う。
「足りるかなぁ」
 などとぼやきながら、袋をあけて、半開きの口めがけて中身を振り落とした。クッキーだったものの破片がぱらぱらと漆黒の穴の中に吸い込まれていく――巨体はいきなり噎せた。
「ちょっ、オルウェン、なにしてるの!」
 イヴリナが金切り声をあげた。アルフレッドは、黙って手だけで制止する。
「変なことしないでよ……!」
 なおも文句を言おうとするイヴリナの語尾は弱くなった。黒い巨体は苦しげな奇声を発しながら、しゅるしゅるとしぼんでいった。色も白くなった。現れたのは人間の格好をした王子の姿だ。人に戻ってもなお、げほげほとせき込んだ。自分がたった今まで、真っ黒な怪物になっていたとは知らぬふうに。
「殿下? 生きてらっしゃいますか?」
 アルフレッドがいささかぶしつけに問いかける。王子は空気を確保するのに精いっぱいで、声こそださなかったが、見ればわかるだろうと言わんばかりに恨めしそうな目を向ける。アルフレッドは意に介さない。
「おお、生きていらっしゃる。死霊術の専門家を早急に派遣します。殿下におかれましては、どうかそれまで安静になさって……って、こんな言葉遣いで失礼じゃないかな?」
「ぶ、無礼な……」
 と言いかけて、王子がまた盛大にせき込む。
 呆気にとられるイヴリナの背中にとんとぶつかるものがある。
「おねえちゃん!」
 声にハッとして、イヴリナが振り返ると、そこには妹のルナがいた。急いで上から降りてきたからか、肩で息をしている。
 イヴリナは目をうるっとうるませた。ファントムをかなぐり捨ててルナに抱きついた。
「ルナちゃん、無事だったのね! ううぅうぅ、よかったよ! こんな怖いところからははやく去ろう! もう一人にしないよ! これからはずっと二人で仲良く暮らすんだ!」
「あ、ありがとう」
 ルナはぎこちない笑顔になった。
「外国に行くしかないと思うんだ。でも二人ならどんなに辛くてもやっていけると思う」
「そ、そうだよね、でもね」
「どこに行こう? とりあえず連邦政府の首都に行って、そこで職にありつこうか!」
「お姉ちゃん、私はファーレンに残るよ」
「見つかんなくても情報は集まってくるだろうし、きっと就職先は見つかるよ」
「おねえちゃん!」
「――なあにルナ?」
「あのね、私はこの国に残りたいの。おねえちゃんとは一緒にいかない」
 イヴリナは口をあけたまま思考停止した。
「おねえのお店のお手伝いも楽しいし、それに好きな人もいるんだもん……」
 もじもじとする妹の姿に、イヴリナは雷にでも撃たれたみたいによろめいた。腰砕けになってその場に座り込む。先ほど放り出した自分の銃を見つけ、ほうほうの体でそれにとりついた。
 ふらふらと立ち上がり、それにしては確かな手つきでリロードした。
「……ちょっと……そいつのあたま……ぶっとばしてくる」
「やめておねえちゃん!」
 ルナが慌ててイヴリナにしがみつく。
「はなせ! お姉ちゃんは! お姉ちゃんは! ルナについた悪い虫をやっつけにいくんだ!」
「やめてって!」
「ロリコンに死を!」
「やめてって言ってるでしょ! お姉ちゃんのそういうところ、ほんと面倒くさい!」
 イヴリナがぴくっと動きを止めた。ゾンビみたいに生気のない目でルナに振りかえる。
「め、めんどくさい」
 ルナが怒ったようにうなずいた。
「そうだよ! そうやって私に彼氏ができそうになると物騒なこと言いだすんだもん」
「……ルナは……おねえちゃんのこと……めんどくさい……」
「私だっていつまでも子供じゃないんだよ!」
「……嫌い……おねえちゃん嫌い…………」
「大好きだよ! 大好きだけど、たまにめんどくさいの!」
 衝撃のあまり呼吸すら忘れかねないイヴリナの様子に、ルナが慌てて弁解する。
「もちろん、いつも守ってくれる優しいお姉ちゃんは大好きだよ!」
「……めんどくさい……」
「ちょっとお姉ちゃん、聞いて! 大好きだし、助けに来てくれてとっても嬉しかったけど、いきなり物騒なこと言わないでほしいだけ! 本当にそれだけなんだから! ねえ、聞いてる? さっきも暴走して、私の声とか全然聞こえてなかったでしょう? お姉ちゃんって、いっつもそうだよねって、ほんとに聞いてる? お姉ちゃん!!」
 聞いてなかった。イヴリナの髪が再びぶわっと逆立つ。ファントムを取り落とし、その場に愕然と座り込む。銀髪にも先ほどまでのきらめきはなく、燃えカスにも似た白髪に見えた。