3-お姉ちゃん、頑張る(涙)-06

(思ったよりも動きが早いな)
 声が聞こえるほうにまっすぐ行きたいけれど、目の前には、すでに衛兵たちが廃タイヤをうず高く積んでバリケードを構築していた。このまま突っ込んでいっても、逆に時間がかかりそうだ。悲鳴は聞こえなくなっていた。じりじりと焦りばかりが募る。
 そんな私の肩を、いきなり捕まえる手があった。
「ひっ――」
「静かに、抜け道を教えてやる」
 司祭(仮)の声だ。返事をする間もなく、ぐいっと腕を引っ張られる。
 この状況でぎゃあぎゃあ騒ぐような馬鹿ではないつもりだ。相手がたとえ薄汚いロリコンだとしても、我々の利害は「ルナを救う」というただ一点において一致している。
 さすがに王宮勤めをしていただけあって、司祭(仮)は人気のない道もよく知っている。
 途中何人か慌てた様子のメイドとすれ違ったが、司祭(仮)が正真正銘「猟兵」であるため、とくに誰何もされなかった。非常にありがたい。その献身に免じて、ルナの彼氏ポジションを狙ったかもしれない容疑でぶっ殺すのはやめとこうか、などと思いはじめる。
 今夜は特に騒がしい。武装した人間が徘徊していても不審がられない。なんせ不審者が王宮内に侵入している最中だからな。私はいかにも助手です、みたいな顔をして、司祭(仮)の後ろにしおらしくついていった。物騒な得物を構えてはいたけどね。猟兵の助手なら許容範囲だ。
 ほとんど人に会わないうちに、見覚えのある場所にやってきた。夜なのではっきりとはわからないものの、この通用門を使って「華麗な身のこなし」などを身に着けるためのレッスンを受けに行ったような気がする。
「建物自体は繋がっているが、中では人に会う可能性が高い。だから外周を回ってきた」
「ルナは私がいたのと同じ部屋にいるの?」
 司祭(仮)の影が頷くのが見えた。足が勝手に動きそうになる――のを自覚したときにはすでに一歩踏み出していた。ここから部屋までの道ならわかっている。
 けれど司祭(仮)に襟首を捕まえられてしまった。ひそひそ声で叱られた。
「早まるな!」
「っ……ごめんなさい」
 カツカツと道を急ぐ足音が聞こえてくる。司祭(仮)がかすかに舌打ちした。
「行くぞ」
 私が思っていたほうとは別の方向に、引っ張っていく。ルナの救出にこんなにも協力的なら、その誠意に免じて、ルナの彼氏として認めてあげないでもないかもしれない……!

 階段を三階まですばやく登った。特に音が反響しやすい階段部で、足音を立てずに移動するスキルは市街戦では必須。だからおねえもみっちりと仕込んでくれた。
 案の定、件の部屋の前の廊下は近衛とみられる武装集団によって厳重に守られていた。
 どうやら司祭(仮)は、彼らの背面からこっそりと部屋までたどり着こうとしたみたいだ。けれど、警戒の目は全方位に向けられている。司祭(仮)が想定していたよりも警備が厚く、皮肉にも我々は不審な場所から登場してしまったようだ。
 しかも連中の中に知り合いがいたようだ。
「クレメル、こんなところで何をしている。出張中じゃなかったのか」
 誰何の声と、銃声とが同時だった。司祭(仮)は拳銃を抜きはらい、天井を撃ち抜いていた。魔法銃じゃない銃を至近距離で撃ち放されると、ものすごい音がする。
「イヴリナ、行け! ここは俺が食い止める!」
 轟音に顔をしかめた、その勢いで司祭(仮)が怒鳴る。
 私は弾かれたように扉に飛びつく。鍵はかかっていなかった。見覚えのある寝室。ルナの姿はすぐに見つけた。白いネグリジェを着ている。ひらひらした裾から生の足首が出ていて、しどけなく座るお人形さんみたいに可愛い。今すぐべろべろしたい衝動にかられる。けれど今はそんな場合じゃない。救い出してから、改めて存分に堪能すればいい。
 ルナもすぐにこちらに気づいたようだ。はじめびっくりしたように目を見開いて、嬉しそうに顔をほころばせかけて、それから顔をこわばらせた。
「お姉ちゃん、うしろ!」
 ルナの叫び声に弾かれるように振り返った。真後ろに身長三メートルを優に超える、黒ずんだ巨体がいた。全裸で、黒目のほとんど見えない目と、怪物には不相応にきれいな歯とが不気味に白く光っている。
 私はファントムを構えたまま、後ずさりした。ルナに接触する。ルナの柔らかな感触に、もう一年くらい触れていないように錯覚した。
「おねえちゃん……おねえちゃん!」
 ルナが震える声で言った。ふわっと腕に抱きつかれる。いつもだったら、「おほぉおおおお、ルナちゃんやわらかい、マシュマロおっぱい、もっともみもみさせるのですぅ!」とか言って、全力でハグしに行くところだけど、今はそんなことをしている場合じゃない。
「こいつは、もしかして、王子さま?」
 なかば信じたくない気持ちで聞けば、ルナは肯定するように身じろぎした。
「ははは、なんてこった。正真正銘の化け物か」
 肚の底から声が震える。これは武者震いというやつか。国家の重要な機密を知って、逃げ延びた庶民は数えるほどしかいない。
「お、おねえちゃん?」
 ルナの心配そうな声で我に返る。
「行くよ!」
 と声をかけつつ、踵を返した先あった姿見の枠目がけて第二筒で魔力を叩きつける。網膜を焼かれないうちに顔をそむける。力が弾けて白い閃光が生じた。王子が眩さに咆哮する。顔を手で覆って固まっているルナを担いで、部屋から飛び出した。次の瞬間、私たちのいた場所に、怪物の巌のような拳が落ちる。壁と床が砕け、あたりに濛々と細かい破片が舞い散る。

 部屋を飛びだすと、司祭(仮)の姿が見当たらず、代わりに私たちは見張りの憲兵に取り囲まれている。
「動くな!」
 鋭い制止の声が飛んでくる。
「無茶言わないでっ! ルナ、耳を塞いでなさい!」
 いったんルナを放して、空砲を撃ち放つ。衝撃が空間を、そして取り巻く壁と天井を震わせる。耳鳴りにも似た細かなしびれが頭の中にツンと走った。
 床はまだ揺れている。いや、これは発砲の影響ではない。
「早く逃げなさい、怪物が出てくる――」
 と、言い切る前に、扉を枠ごとへし破って黒い巨体が姿を現す。
 その場に集まる人間たちをごみのように薙ぎ払い、あたりはまた、生々しい埃のにおいに満たされる。それに喉の奥に絡みつくような腐臭も混じる。ルナの腕をひっつかんで、バリケードを飛び越える。衛兵たちも、私に構っている暇はない。散り散りになりかける。
 やっかいなことに、怪物は迷わず私たちのほうへと迫ってくる。
 天井の照明が視界に入る。一か八か、目つぶしにそいつを撃ち割る。ルナが悲鳴をあげる。構わず、腕をひっつかんで走らせる。
「おねえちゃん、ちょっと待って――あっ!」
 ルナの腕が急に重くなって、手から抜けてしまった。
 勢いあまって走りすぎて、踵を返したときには、怪物がルナのすぐ前まで迫っている。
(くそっ、目つぶしは効かなかったか)
 ファントムを構え、安全装置を外した。弾が装填される気配を手に感じる。
 同時に視界も深化させる。夜闇をものともせず、白いグリッドがうっすらと視界を覆う。狙うのは敵の眉間。腕の力を抜いて整列(アライメント)を発動させる。
 ファントムを通じた魔力の流れと、グリッドとがぴったりと噛み合った、そして共鳴室にありったけの魔力を叩きつける。これで、怪物の頭は吹っ飛ぶ――かと思いきや、発砲直前に私に体当たりしてくるものがいる。
 天が割れたような轟音が降ってきた。実際に、天井が割れた。音が音速で去ったあとにもパラパラと細かい砂が降ってくる。それに混じってぺちょっとした臭い汁。血のようでもあるが、似て非なるもの。おそらく王子の表皮から滲み出た体液だ。
「やめろ! 殿下を殺すな!」
「ゾンビ相手になに言ってるの!」
 私は一喝して、司祭(仮)を振りほどいた。ルナは恐怖と音で腰が抜けてしまったのか、床にへたりこんでいる。困り果てたようにぽろぽろと泣いている。怪物の存在なんて気にならなくなった。迷わずルナのところに行った。司祭(仮)がなにか言っている。呆然としているルナを抱きしめる。ルナは一瞬遅れて私に気づいて、ぎゅっと抱きしめてきた。
「おねえちゃん……こわいよ……」
 気丈な妹の弱気な訴えが、胸につきささる。
「大丈夫だよ、お姉ちゃんも一緒だから」
 ルナは私の胸に顔をうずめて小さく頷いた。昔みたいに、ルナの頭を撫でてやる。私はもっと昔にお母さんにこうして撫でてもらった。でもルナは小さすぎて、そういう記憶はないだろう。キッと怪物をにらみあげる。怪物は口から煙を吐いていた。赤く灼熱する拳を振り上げ、振り下ろす。ぎゅっとルナを握りしめた。ルナと二人なら、死ぬのも怖くない。でも、
 でもやっぱり、
 怖い!!
 走馬燈が見えそうになって、驚いてカッと目を開く。ファントムが転がっている。ルナを突き放し、衝動的にそれを掴んだ。
「――ぅちっ」
 焼けるような銃身の熱さに歯を食いしばる。頭上に熱く重苦しい風を感じた。
 視界を走るうすら白いグリッドが膨張して、一斉に爆ぜた。