2-おっぱい星人と逃避行(怒)-02

 とりあえず、口の中にあった食べ物を飲み下す。それを二人は、時を止められたかのようにじっと見つめる。
 口の中が空っぽになると、乾いた笑いが勝手に漏れ出てきた。
「あはははは……」
 おばさんは相変わらず固まったままだ。おじさんは号外片手に肩をすくめた。
 おじさんの背後、中途半端に開けられたドアがすっと動いて、下のほうから茶色い塊がそろっと入ってくる。みうちゃんだ。けれど、この部屋の異様な空気を察知したのか、そのまま鳴きもせずにリビングのほうへと去っていった。
 耳の痛くなるような沈黙がやってきた……と言いたいところだが、周囲は住宅地。近所の生活音は容赦なく聞こえてくる。隣かさらにその隣か。ヒステリックな母親の叫び声と、子供のけたたましい泣き声。それでも三人でだまりこくっていると、バンバンバンッとフライパンでものを殴るような物騒な音まで聞こえてきた。
 いたたまれなくなったのか、おじさんがおずおずと口を開いた。
「……悪いことは言わない。おじさんと一緒に駐在所に行こう?」
「ほ、ほ、報奨金が目当てですか……!」
 動転していたつもりはなかったけれど、思うように舌がまわらない。座っていられなくなって立ち上がる。それに合わせて、おばさんの固まった視線がぎこちなく上にスライドする。
 おじさんは、困ったように首を傾げた。
「あー、市民としての務めがあるので、その、あれだ……」
 などと口ごもりつつも、直接的な行動には出てこない。代わりに、手を出してきたのはおばさんのほうだった。まさか動くとは思わなかったから、完全に虚を突かれた。
 骨をへし折る勢いで手首を握られた。
「痛ッ、離して――っ!」
 おばさんは、悪魔に取りつかれたみたいに目をカッと見開いて、瞬きすらしない。
「いいえ離さないわ。賞金三〇〇〇万ゴールドは、うちがもらった」
「匿ってくれるんじゃないんですか!」
「旦那の趣味に付き合わされるのは、もううんざり!」
「裏切られた!」
「裏切られたのは、こっちのほうよ! お尋ね者だなんて、聞いてないわ!」
 口では抗議しつつ、おばさんの主張も分からないではなかった。
 彼女にとって、旦那の拾いものでまともなのはチャトラ猫のみうちゃんだけだ。珍しく酒場のむさくるしい野郎以外を連れてきたと思ったら、殿下を襲ったお尋ね者ときた。
 だいいち同時進行で、もう一人居候を抱えているという。
 けれど、私はここで捕まるわけにはいかない。
 捕まれたほうの腕を振りかぶる。つられておばさんも立ち上がりかける。そこで脚を開いていっきに身体を落とした。おばさんは上方への運動から下方への運動に急に転換を迫られて、体勢を崩してテーブルに激突する。
 おばさんではなく、おじさんが絶叫する。
 ほかほかのパンが跳ね飛び、ミルクサーバーが白い液体をまき散らしながらダンスして、やっぱり吹っ飛ぶ。野菜とドレッシングの乱舞で、テーブルの上がサラダボウルだ。
 衝撃で椅子がずれて、テーブルの下に空間ができた。そこを転がり真っ直ぐドアへ、おじさんの間合いをすり抜ける。
 おばさんが顔を抑えてひいひいと呻いている。
 良心の呵責を覚えつつも、これはピンチと見せかけたチャンスだと自分に言い聞かせる。
 朝寝坊して襲撃するタイミングを逸してしまった私に、どこかの神様が与えてくださったなんらかのチャンスだ。ファントムは寝室に置いたままだ。ケースもないものだから、日の当たらない片すみにそのまま置いておいたと思う。
 逃げると見せかけて、部屋に戻ってファントムを回収。流れ作業で恐喝。
 よし、その作戦で行こう!
 と、踵を返したところで、どん、と、生温かな気配に当たって、私はあっけなく弾き戻された。
「――っ、痛った」
「お、お前、」
「ひぃいいっ、帰ってきたわ!」
 おじさんが息を呑み、おばさんがヒステリックに叫んだ。私は後ずさりしかけてたたらを踏んだ。目の前に、黒っぽい半袖パーカーを着た、銀髪の男が立っていた。フードを目深にかぶり、頭二つ分は高いところから、眠そうな目で見降ろしている。
 根菜の詰まった買い物袋のようなものと、変わった形の酒瓶を持っている。
 その辺にうろついている不埒な輩と同じTシャツとジーンズ姿なので、私はとっさにルナを庇う仕草をし、ルナがいないことを思い出して、はっと我にかえった。
 銀髪のお兄ちゃんは二秒くらい私の顔を見て、それから関心を失ったようにおばさんのほうに目をやった。
「トパーズさんから野菜もらいました。どこに置いておきましょう。机の上でいいですか?」
 とっちらかった部屋の緊迫した空気を無視した、ひどく気の抜けた口調だ。
 おばさんは、叫び声をあげたあとはすっかり言葉を失ってしまったようで、ぶるぶると首を振った。
「上はダメですか。だったら、下に置いておきますね」
 よっこらしょっと、掛け声を出してもおかしくないくらいおっくうそうに、銀髪のお兄ちゃんは野菜の入った袋を床に置いた。
「オルウェンさん。ど、どこに行ってたんだい」
 おじさんが、いささかキョドリ気味に聞いた。とたんに、銀髪のお兄ちゃんが威圧感を増したのでぎょっとする。
 彼を起点に無属性の魔力の旋風が生じて、闇雲に場を覆った。圧倒的な冷気に触れたようにも錯覚した。筋骨隆々な男の人が己の筋肉を人に見せびらかすのにも似ていた。皮膚という皮膚がチリチリと焼かれそうだ。うっかり息を吸った日には、肺の内側から火傷を負いかねない。
 とはいえ破壊的な威圧感は一瞬だけだったし、銀髪のお兄ちゃんは、外見上はやる気のなさそうな姿勢を隠さなかった。
「どこって、ヌル川の向こうですよ。トパーズさんのところに行ってきました」
「な、ならいいんだ」
 と、おじさんも黙りこくってしまう。
「どうされたんです、お二人とも。それに、この子は?」
 ふいに肩をつかまれる。手の温かさと一緒に、ビリッとした刺激が皮膚をやぶる勢いで伝わってきて、うっかり飛び上がりそうになった。
 お兄ちゃんも私のリアクションで、同じ魔術師の端くれであることに気づいたのだろう。
「あっ、失礼」
 と、おざなりに謝って、すぐに手をひっこめた。返す手でおじさんの手にあった号外をぺらっと奪い取った。
 それがトリガーだったか、おじさんが口を開いた。
「この子を駐在所に連れていけば、報奨金がもらえるそうだ」
「メイドさん、なんですか?」
 銀髪のお兄ちゃんは私を見下ろし、いぶかしそうに目を細めた。
「メイドさんの恰好をしていたのだよ」
「で、あの川で拾ってきた」
「そうだ。昨日の朝、朝の散歩で見つけてな」
「なるほど」
 と、呟いて、お兄ちゃんは号外を突き返した。ひっこめたはずの威圧感を、ちらっとのぞかせながら、私のほうに取ってつけたような笑顔を向けた。
「君と少し、話がしたい。いいだろうか?」
 返事を聞く前に、オルウェンは夫婦にも向き直った。
「今までありがとうございます。お世話になりました。ちょっと行く当てができましたので、これでお別れです」
「ちょっと待った!」
 と、声を張り上げたのは、我にかえったおばさんのほうだった。
「聞いてなかったのかしら。あなた、その子には賞金がかかってるのよ。横取りなんて、絶対に許――」
「ごもっともです。あなた方の拾ったお宝を掠め取ろうとは思っていません」
 ポケットをごそごそと漁り、なにやら紙切れを取り出した。
「三〇〇〇万ゴールドは、僕が代わりにお支払いいたします。それで手を打っていただけませんか?」
 などと、ぺらぺらと口を動かしながら金額、サイン、日付をさらっと書いて、人差し指でじゅっと捺印をして小切手の完成だ。
「もしかしたらファーレン国内の金融機関じゃダメかもしれない。その場合は国際送金できる金融機関にもってくといい。スムーズに現金化できるはずです」
 おばさんに差し出しても、呆気にとられて受け取ろうとしないので、仕方なしにといった感じでおじさんに小切手を押し付ける。
「さあ、行こうか」
 オルウェンは、なにごともなかったかのように私の背中をつついて移動を促す。
 おじさんとおばさんは、いきなりぽんと出された大金にきょとんとしていて追ってはこなかった。

「君の荷物はどこ?」
 銀髪の魔術師の口調はどこかすっとぼけている。大抵の人間は、呑気な男だと思って油断するだろう。部屋にあると伝えると、それなら取りに行こうか、と柔らかく言った。
 『お宝を横取りしない』とは言っていたけれど、彼の目的も報奨金の獲得じゃないかと思う。政府相手に交渉して、賞金を釣り上げるなんてことも不可能じゃないだろう。とくに原始無政府主義(ネオ・アナーキズム)を信奉している国際テロ組織あたりなら、規模にもよるがそういう暴挙に出ないとも限らない。
 とにかくこの魔術師、得体が知れない。もしかしたら、大人しくお縄を頂戴したほうがましだった、みたいな状況なのかもしれない。
 部屋は私が起きて身支度したときのまま。ファントムは、昨晩私が置いた状態のままで部屋の隅に寝かせてあった。
 回収するまでは、逸る心を落ち着けるのに必死だった。銀髪の魔術師は強力な相手だ。ファントムで攻撃力を増強しても、もしかしたら素手の彼に勝てないかもしれない。壊れたファントムではつまようじで武装するよりも心もとないが、ないものをねだらないのが真の戦士だ。
 回収した瞬間に不意を討って逃げるしかないなと思った。まともに戦うという選択肢をとれない今の私に、与えられた選択肢は限られている。
 ファントムをつかんだその手でぐるんと向き直り、銃口を魔術師に向ける。
 うすうす予感はしていたけれど、彼はまったく動じる気配を見せなかった。
 はったりの失敗をまのあたりにして、ドクドクッと心臓が震えた。ドッと手汗が出てくる。どうしよう。目を反らしすらしない。
 唯一の手を封じられて、膝がガタガタと震えはじめた。それに反応してファントムの銃身もプルプルと動いて定まらない。
「荷物はそれだけかい?」
 オルウェンがかったるそうに聞いてくる。
「駐在所に突き出すつもりなんでしょう。そうはさせない」
 震え声で切り返すと、彼は面白そうに笑った。
「なんで僕がそんなことしなくちゃならないのかな」
「な、な、な、なんでって、それが市民の義務でしょう!」
「市民の義務を声高に訴えるお嬢さん。だったら君はどうしてファーレン王国のアイドル、スハイオルト殿下を襲ったんだろう。興味深いな」
 オルウェンは、捺印に使った右の人差し指をついとのばしてファントムに軽く触れた。次の瞬間、哀れなガラクタは、中に詰まったヘドロも部品もなにもかも吐き出しながら、弾け飛んだ。
「どうせ掃除しなきゃいけなかっただろう? 解体の手間を省いてあげたよ」
 銀髪の魔術師は、トイレの後でちゃんと手を洗ったぞと自慢する男の子みたいに得意げに言った。

 ファントムの部品をかき集め、魔術師が持っていた買い物袋に詰め込んだら、それで私の荷造りは終わりだった。
 魔術師もまた、私物は薄汚れたバックパックだけだ。
 それを同じくあてがわれていた部屋から回収してきて終わり。
 私たちが手早く出発の準備を終えた頃には、おじさんもおばさんも、すっかり正気を取り戻していた。いや、一層の狂気に取りつかれていたと言ったほうが正しいかもしれない。
 魔術師の小切手が本物だという確証でも得たのだろう。
「も、もしや、あなたは、とんでもないお金持ち、なんじゃないでしょうか」
 挙動不審に聞いてくるおじさんに、オルウェンはそっけなく答える。
「いえ、あの三〇〇〇万ゴールドは僕のポケットマネーじゃないです。経費で落とします……ええ、必ずや」
「そ、それでも、とんでもない権限をお持ちなのには変わりないですな」
 ぐへへ、と厭らしく笑みをこぼしながら、おじさんが、ちらっと肉切り包丁を見せる。
 あの温厚そうなおじさんが、いきなりそんなものを持ち出すなんて衝撃だ。こんなに簡単に暗黒面に落ちるなんて、お金の魔力は恐ろしい……
 オルウェンは、おじさんの持っていた包丁を人差し指と中指でそっと挟んだ。
 一瞬、指に力がこもったようにも見えたし、そうでないようにも見えた。
 気がつけば、金属が暖かな光を孕んで、霧散した。
 ダイヤモンド・ダストのような光景に、ついうっとりとしかける。ねっとりとした血の臭いに似た金属臭で、現実に引きずり戻される。
 おじさんが包丁を構えた格好のままで、きょとんとしていた。
「過ぎたる欲は災いのもと」
 オルウェンが説教坊主のような口調になる。
「三〇〇〇万ゴールドはだまってもらっておきなさい。どうせこの子を駐在所に連れていっても満額もらえはしないでしょう。それに報奨金をもらったことはご近所に筒抜けになってしまうはず。こういうことは秘密にしておいたほうがいい。宝クジと同じ」
 そうでしょう? と、同意を求めるようにおばさんにも目をやる。
 おばさんはおばさんで、自動泡だて器を武器みたいに構えていた。使い方によっては下手な武器よりもえぐい武器になるかもしれない。
「差額は、いままでお世話になったお礼です。どうかお受け取りください――さっ、君。ぼんやりしてる暇はないよ」
 オルウェンはあっけらかんと言い、私の腕をつかみ、家の外へと引っぱっていく。

 屋外は、私の底なしの不安とは裏腹に、からりと晴れた良い天気だった。広葉樹の濃い緑が太陽の光を受けてきらきらと輝いている。
「さてと」
 なんて、のんびり立ち止まろうとするオルウェンを置いて、私はダッと走りだそうとした。当然のように、襟首つかまれ引き戻された。
「ちょっと離して! 離してよ!!」
「落ち着きのない子だなぁ」
「あんたの好きにはさせないから!」
「大丈夫。君を警察に突き出したりしない」
 オルウェンは困ったように笑って、私の手をとった。大きくて暖かな手のひらから、自分とは違う魔力のうねりがじんわりと伝わってきて、衝撃で手が痺れそうになる。
 なんとなく落ち着かなくて手を引っ込めようとしても、オルウェンは離してくれなかった。物理的な腕力でそうさせているのか、圧倒的な魔力の魅力でそうさせているのか。
 足に羽でも生えたみたいにふわふわしてくる。信用できるわけではないのに、魔術師の本能が抵抗を拒否する。彼と私の魔力がかけ離れているせいだ。
 伊達に技官志望だったわけではない。魔力に自信はあるつもりだった。井の中の蛙だった。こんなわけのわからないバックパッカー風情に負けるなんて……。唇噛みながら俯く私には無頓着に、オルウェンはご機嫌でへたくそな鼻歌を口ずさんでいる。
 引きずられて街歩き。
「ファーレンの王都はバスしかないんだよなぁ、不便」
 と、オルウェンがぼやきながら、やってきたバスに適当に乗った。
 行き先を確認したようには思えなくて、大丈夫かよと私の心は突っ込みの嵐だけど、選んだ当人は案の定知らん顔だ。
 バスの中ではさすがに大人しくしていた。オルウェンが居眠りしてくれればよかったんだけど、そんな気配はまるでなく、のんびりと車窓の風景を楽しんでいる。
 やがて郊外のバスセンターにたどりついた。ここから先は鉄道あるいは空路にアクセスできる。てっきり遠くに連れていかれるのか思ったけれど、彼は相変わらずそういうそぶりを見せない。
 なぜかふらふらとウィンドウショッピングに付き合わされて、それからようやくたどり着いたファーストフード店で少し早い昼食をほおばっているときに、さすがに我慢の限界を迎えてオルウェンに聞いた。
「ねえ、私をどこに連れていくつもりなの?」
 銀髪の魔術師は、初対面の威圧感は微塵も見せぬ人懐っこさで、かるく首をかしげた。
「んー、どこだろな」
「はっきり言いなさい!」
「どこに行けばいいのかわからん」
「ちょっ……なんですって!」
 びっくりして立ち上がりかけて、かじりかけのバーガーを投げつけそうになり、あっ、もったいないと思って、立ったままもぐもぐと食べた。
 オルウェンも、知らん顔でポテトを漁っている。
 と、同時に、お店の入り口のほうで、がやがやとざわめきが起こった。
 はっとして、顔を隠すように座る。今の私は当局から追われている。慎重に行動しなければならない。オルウェンもまた、入り口のほうをちらっと見て、ポテトを六本まとめて口に突っ込んだ。
 店の入り口には、銀行強盗みたいななりのフルフェイスマスクの男が小銃を構えて仁王立ちしている。客や店員の悲鳴があがる。私も飛び上がりそうになった。心臓の乱打再び。落ち着いているのはオルウェンだけだ。
 テーブルに伏せつつ、銀行強盗(仮)に目をやって、危うく舌打ちが出そうになった。
(――どこかで、通報されたみたいね)
 銀行強盗みたいななりの不審者は、どう見てもあの童顔の司祭(仮)だ。目元がまるっと出ているからバレバレだ。どうせなら眼孔の部分だけが空いているもっと不審者然としたやつを被ればよかったのに。あの人も、変なところで抜けてるな――。
 なんて馬鹿にしている場合じゃなかった。ガン見していたら、うっかり目と目が合ってしまった。
 こちらにさっと銃口が向けられた。
 いまさら目をそらすこともできない。