1-崩壊する最強の未来像-09

 白刃がひらめいた。
 ガッ――
 と、左耳のすぐそばの壁が抉られて、破片が頬にぴちりと当たった。頬に一筋、熱さがともる。破片で浅く皮が裂けたか。
 頭を抱えて腰を落とす。ファントムのケースを抱えて、王子の腕の下をすり抜けた。身体が勝手に動いた。近所のおねえ仕込みの回避術だ。
 体勢を立て直し、改めて敵に向き合う。王子が折れた剣を投げ捨てて、ゆらりと振り向く。ついにやっちまったという焦りが腹の底からふつふつと湧き上がる。それでかえって己を取り戻すことができた。儚げなお姫さまの役なんて、私には似合わない。
 ファントムのケースの引っ掛けを乱暴にはぎとり、ほとんど床に叩きつけるようにケースを振り落とす。弾倉に予備はない。弾を詰めたばかりのそれを、決意を込めて装填する。撃ち尽くしたら、魔力的に非効率な戦いを強いられる。その前に決着をつけなければ。
 でも、なにに? どうやって?
「僕を撃てばどうなるか、わかっているのか」
 と、王子が凄んだ。
「撃たなければ殺される」
「これだから……生身の女は性質(たち)が悪い」
 悪魔の形相の王子から、視線をずらさないように後ずさりする。
 冗談じゃない。殺されてたまるか。
 ここで私が死んでしまったら、ルナは天涯孤独の身となる。妹が幸せな結婚をして、幸せな家庭を築くのを見届けるまでは死んでも死ねない。
 背後からどやどやと人が近づいてくる気配がした。メイドたちが、不穏な物音を聞きつけて駆けつけてきたようだ。
 王子の相手よりも退路の確保が先だ。剣をでたらめに振りかぶる王子を無視してリビングへの扉にタックルする。
 転がり出ると、ちょうど部屋に入ってきたメイドたちと鉢合わせになる。
 さっと銃口を向ける。
 彼女たちは悲鳴を上げてちりぢりに逃げていく。きっと増援を呼びに行ったのだろう。彼女たちを追いたてながら、部屋から脱出する。

 メイドたちは蜘蛛の子を散らすように逃げてゆき、一人残された廊下はしんとしていた。別棟からガヤガヤと物音が聞こえてくる。
 その方向を避けて一歩踏み出そうとしたところで、不穏な気配を感じて振り返りぎわに、まずは一発。
 最初の一発目はたまっていたエネルギーを弾のおしりにぶつける。入射角を正しくすれば、薬室代わりの共鳴室で擬似爆轟が起きる。魔力がなければ火薬を頼らなければならないところだが、幸い私には魔力がある。しかも擬似爆轟を起こすだけの力と、その力を一点に凝集させ、正確に放つ制御技術がある。
 姿勢が悪くて踏ん張りがきかず、発砲とともに銃が跳ねあがりかけた。うっ、と短いうめき声とともに、ばたんと人が倒れる。
 仕留めた相手を確認して、心臓が止まりそうになった。
 王子が肩から血を流して唸っていた。牽制に足元を狙ったはずが、左肩を真正面から撃ち抜いてしまったようだ。毛足の短い絨毯に、じわりと黒い染みが広がる。
 脚が竦みかける。けれど本能に命じられるまま、回れ右をする。
 無我夢中で廊下の端まで走って、ようやく先ほどの光景を咀嚼する。間違いない。よりによって世継ぎの王子に危害を加えてしまった。王族に手を出した者は、たとえ同じ王族であってもただじゃ済まされない。いわんや庶民をや。
 最悪死刑。しかも私は王子の変態趣味を聞かされている。合法的に殺されなくても、私的に抹殺されるだろう。それだけじゃない。犯罪者の家族として、ルナもまた、一生日陰者として生きることを強いられる。
 衝撃を受けている暇はなかった。
 私の目の前に、お目付け役の司祭(仮)が姿を現す。
 今宵、やつは私が部屋で大人しくしていると思って油断していたようだ。新手の出現は、膨らみかける動揺を意識の底へと蹴りやった。
 ファントムを向けて、中指を掲げて、あえてフェイクの火花を散らす。
 司祭(仮)は、やはり訓練された軍人なのだろう。その場で立ち竦む、なんていう素人っぽいしぐさは見せず、さっと物陰に退避した。
 その隙に廊下を突っ切る。
 まてっ! という怒鳴り声とともに、足音が迫ってくる。
 司祭(仮)は意外と足が速い。このままじゃ、すぐに追い付かれてしまうだろう。私は裸足でしかも走りにくいネグリジェだ。
 困ったなと思いつつも、私はさして悩むこともせずに、手近な部屋に飛び込んだ。そこはメイドの寝室だった。
 住人たちは外の不穏な気配を察知して目を覚ましていた。
 顔に覚えのない人たちだ。私には直接かかわりのなかった人たちだろう。
 寝間着姿で髪を振り乱し銃を構えた異様な女にショックを受けて固まっている。
 ネグリジェでは、そう遠くに逃げることができない。
 私は部屋にいたメイドをざっと見渡して、自分に一番体格が似ている一人に銃を突きつけた。ルナによく似た、さらさらの黒髪の女の子だ。ルナよりも唇が薄くて、目元がきもち、キリリとしている。
 もうちょっと、気弱そうなのが良かったんだけど、人選間違えたかな――と、悩みかける。迷いを振り払うように叫んだ。
「あなたの服、出しなさい!」
「はっ!?」
 メイドが身体を固くする。
「はやく!」
「はいぃっ!」
 その子は弾かれたようにベッドから降りて、私に雑多な布の塊を押し付ける。
 私はそれをひったくって、窓辺に駆け寄り、銃床を鍵に叩きつける。
 一回、二回。
 頼むからファントムよ、保ってくれよと念じる。
 急にガシャンと音をたてて、窓が外れる。同時にメイドたちが、我に返ったように悲鳴を上げた。
 私は勢い余って窓の外に飛び出していた。
 ここは――
(さ、三階?)

 こういうとき、日ごろの訓練と心がけが、ものをいう。
 地面と突撃するときに、私は無意識に受身をとった。
 幸い地面は柔らかく、おかげでネグリジェは泥だらけになったけど、ケガらしいケガもなく、すたっと起き上がって逃走を再開する。
 遥か頭上から、司祭(仮)の怒号が聞こえてきた。まさか、あそこから飛び降りるわけにはいかないだろう。私だって、高さを知っていたらこんな無茶はしなかった。
 まず守るべきものはファントムで、その次にメイドから恐喝した服に注意を払う。
 ファントムを小脇にかかえ、走りながら、ネグリジェを引き裂いた。
 ちょうど下着だけになったところで、見回りの衛兵と鉢合わせになる。
 むしろ彼らが悲鳴を上げて逃げる。神がかり的なタイミング。倒す手間が省けたので、珍しく神に感謝する。
 さすがにファントムを持ちながらでは満足に着替えもできない。
 それに建物の高層から私の行動は把握されているだろう。
 目くらましに、衛兵詰所の影に隠れる。
 おそらく追手は、私が出口を探して移動を続けると予測するだろう。そこを敢えて立ち止まり、人の気配がないのを確認し、ファントムを置いて、メイドから奪った服を着た。
 強気な人を選んだのは間違いではなかった。
 服は一通りそろっていたし、ご丁寧に下着まであった。
 ちょっと下着は申し訳ないけど物陰の木箱の裏に隠しておく。あとで見つかってあのメイドがバツの悪い思いをするのは哀れではあるが、これも運命だ。許せと短く心の中で詫びる。
 服を着て、今度は靴を奪うのを忘れていたことに気づく。
 けれど、ソックスがあるからまだマシだろう。今更裸足で走り回っていたことに気づく。
 泥だらけの足のまま、靴下に足を突っ込む。
 指の間に砂の感触がして、変なところで手間を省くんじゃなかったと後悔するも、先立たず。
 できればそのまま塀を乗り越えたかったけど、ここで一度、はやる心を落ち着ける。
 今は敷地から一刻も逃れたいという気持ちでいっぱいだ。塀の向こうが安全だとは限らない。今以上の袋小路が待っているかもしれない。
 さっきはたまたま助かったけど、今度はもっとひどい断崖絶壁があって、落ちて死ぬかもしれない。
 迷って足が止まってしまった。衛兵たちの叫び声が飛び交う。
 塀沿いに移動しようと気を奮い立たせるものの、右手にも左手にも人の気配がある。
 どっちに向かっても、戦闘は避けられないだろう。一人で分厚い包囲網を突破するのも胸アツだけど、その包囲網を突破したところで、確実に逃げおおせるとは限らないのだ。
 どうする。
 右もダメ、左もダメ、前には壁が立ちはだかり、後ろに戻るのは論外。とすれば、
 私は上を見上げた。
 塀はレンガ組み。指を引っ掛けて登ろうと思えば登れないこともない。無駄にレトロな建築様式の王宮で助かった、と思った。私たち姉妹に一通りのサバイバル術を叩き込んでくれた近所のおねえにも、改めて感謝する。
 メイドのエプロンで、ファントムをしっかりと身体に結わえて、極力音を立てずに壁を這いあがった。
 かっと視界が明るくなる。
 サーチライトが当てられたようだ。もう隠れていても意味はない。ささっと這い上がり、塀の向こう側に飛んだ。
 綺麗な夜景が見えた。川の黒い水面が眼下にさわさわと漂っているのがわかる。王子に相対したときと同じ、生命の危機を感じた。生き延びるためにはある程度は臆病さが要るらしい。
 私は思い切り宙に蹴りだせずに、ずさぁあとほとんど壁を摺るように下に落ちた。
 とっさにファントムを庇って、壁から離れそうになり、けれども下から吹き上げてくる不穏な湿り気のある風にぞっとして、かろうじて態勢を立て直す。
 サーチライトの異質な白い光が、星も微かな闇夜をさぁっと撫でた。
 壁は暖色に照らされていた。
 この光景を、私はあの川の向こうから見た覚えがある。ライトアップされた王宮だ。王宮は川に面していた。つまり、下は川だ。
 ただし、あのときは遠目に眺めていたから、下がどうなっているのか詳細はわからなかった。
 そのまま川ならもしかしたら飛び込めるかもしれない。
 それでも高さがわからないので、どうなるものか。一か八か飛び込むのは非常に危険だ。川べりに地面があるかもしれないし、川の深さもわからない。侵入者よけになんらかの施設があるかもしれない。
 他のルートを探そうと思った。メイド姿の怪しい女が壁に張りているところを、誰かに目撃されるのは大いに問題。けれど、飛び降りるのに比べてたら取るに足らない。
 そろそろと動き始めたところに、頭上に殺気を感じた。
 はっと顔を上げた。
 童顔の司祭(仮)が顔だけをのぞかせていた。
 お互い、あっと口を開けた。司祭(仮)は片肩乗り上げて、腕を出す。その手には拳銃が握られていた。狙いは私に向けられている。
 私は射線を避けようとしてよろけた。いけないと思って、壁を思いっきり蹴った。司祭(仮)の銃から硝煙が立つのが見えた。それからスローモーションでバンっという闇夜をつんざく音。
 宙に放り出されて、空気の硬さを感じた。優しく包み込むどころか、ピザの生地みたいに重く貼りつく。私はファントムを抱えて、背面から夜の川に吸われていった。
 きゃっ、という、柄にもなく乙女な短い悲鳴とともに。