1-崩壊する最強の未来像-05

 それから十分後、私はこの世で最も心臓に悪いお姫様だっこのまま、幌付き特殊ナンバー車両に運び込まれた。
 ルナも浮かない顔をしてついてきた。
 私は「来ちゃダメだ」と言ったし、司祭(仮)も「君は部屋で待っていなさい」と諭したのだけど、それでも「お姉ちゃんが心配だから」と言って無理やりついてきた。今は司祭(仮)の一挙一動を、獲物を狙う鷹の眼差しで追っている。
 一方司祭(仮)は、ルナには無関心を貫いている。人質としての価値は大いにあるのだが、どうもそういう企てには関心がないようだ。
 解せないのはそれだけじゃない。
 司祭(仮)も運転手も、同乗の戦闘員と思しき男も、ルナには無関心だ。
 いや、心の底から無関心なんてことはあり得ない。ルナはめちゃくちゃかわいいから、男だったら誰だって一目見たら気になるはずだ。けれど彼らはそんなそぶりを微塵も見せない。つまり、いかなるハニートラップにも屈しない鋼の心を持ったつわものどもということだ。
 どうやら私たちはとんでもない連中に捕まったらしい。
 体中から冷汗が噴き出てくる。

 特殊車両は、ガクン、と盛大にノッキングをしてから、いまいちすっきりしないエンジン音とともに走り出した。
 車内の誰も、言葉を交わそうとしない。
 運転手は言わずもがな、戦闘員は車外にするどく目を光らせており、ルナは黙って司祭(仮)を監視し続けているし、司祭(仮)は私を抱っこしたままだし、私はファントムを抱っこしたままだ。
 振動のたびに顎が痛い。この角度で誤射したらルナに当たるかもしれない。
 身体をごそごそと動かしてルナに危険がない角度を模索する。すると、司祭(仮)の手が簡単に外れる。どうやら下ろしてくれるようだ。本当は「いつまで抱っこされてりゃ気が済むんだ」とか思っていたのかもしれない。これはかなり恥ずかしい。
 外は暗くてよくわからなかったけど、王宮に向かっているのだけはわかった。
 王宮の壁は暖色にライトアップされていた。暗い水面にぼんやり映る城の姿は、まるで黄昏の王国のおとぎの城だ。
 誰のための照明なのか。観光客のため? それとも王宮で働く人たちのためだろうか。
 が、問題の核心はそこではない。王宮は一技官志望の私にいったいどんな用事があるというのか。しかも、わざわざ宿から拉致ってくるという手間までかけている。
 昨日の今日だし、試験結果とは関係ないだろう。
 お花畑の痴漢の一件だろうか。思い当たるのはそれくらいだ。
 Xは王宮内であんなに大胆な痴漢をしてきたくらいだから、かなり身分の高い人だったのかもしれない。それで私は、不敬罪で逮捕か――
 痴漢行為とは別の意味で背筋がぞっとしかけたけど、よく考えてみたら被害者は私だ。いきなり襲ってきたのはあっちだ。そしてXを倒したのは、隣の童顔の司祭(仮)だ。迷わず腹パンを喰らわせていた。あの一連の顛末で処分される可能性が最も高いのは彼のはずだ。
 それなのに、司祭(仮)は涼しい顔で座っている。
 それどころか、私たちの監視にも関心が無いようで、のんきに舟を漕いでいる。どう見ても今から処分される人間の顔に見えない。やっぱり処分されるのは私なのかもしれない。
 Xはどっかの大貴族の御曹司で、そのママとかパパとかが出てきて、
「うちの子を誑かした、このあばずれ! 卑しい庶民の分際で!」
「金ならやる。他言したらどうなるか……わかるよな?」
 とかいう、絶賛口封じ展開が待っているのか。金を手にして城門を出たとたん、物陰に潜むスナイパーに撃たれて死ぬのか。
 嫌な想像がぐるぐると頭の中をめぐって、私は逃げ帰りたい衝動に駆られた。どこでもいい。平和で痴漢も司祭(仮)もスナイパーもいないところに逃げたい。
 これだけザル警備だ。一人なら間違いなく脱走を企てた。けれど困ったことにルナがついてきてしまっている。

 王宮に到着して、通されたのは、オフィスと思しき建物の、一階の応接室のような場所だった。
 オフィスと言っても、殺風景な感じではなくて、王都らしく、建物自体は古くて調度もレトロだった。試験会場の講堂もそうだったけど、ベルベット張りの椅子といい、過装飾な窓枠といい、この部屋にはまだ現代という時代は到来していないようだ。
 叱責を受けるにしてはやけに丁重に部屋に通された。
 ルナは別の部屋に連れていかれた。ついでにファントムも没収された。
 文句が口をついて出かけたけれど、ファントムはルナに預けられたし、ルナのことは女性職員が優しく案内していったので、ひっこめざるをえなかった。案内役が野郎じゃないだけ良しとしようと思った。
 私を待ち受けていたのは、むしろモダンなオフィスが似合いそうなスキンヘッドのスーツのおっさんだった。いや、おっさん呼ばわりは失礼かもしれない。勲章をつけてはいなかったものの位の高い軍人さんぽい雰囲気だったし、もっと単純に、強そうなオーラをひしひしと感じた。
 おっさんは、ここが王宮であることに気負う気配は微塵もなく、自宅のリビングのようにくつろいですら見えた。
「どうぞ座ってください、イヴリナさん」
 席を勧める仕草も堂々としていて隙がない。しかも当たり前のように私の名前を把握していた。見た目に違わず手ごわい相手のようだ。
 勧められるまま、白くつやのあるベルベット椅子に浅く座る。試験会場の椅子もせめてこのくらいの硬さだったらもうちょっと落ち着いてテストを受けられたはずだ。
 おっさんは王室管財アドバイザーだと名乗った。
「王室がプライベートに雇っているコンサルタントです」
 と、彼の椅子の斜め後ろに直れの姿勢で立った司祭(仮)が説明を加える。
 コンサルタントは、これには特に口を挟まず、底光りのする目を改めて私に向けた。司祭(仮)が続ける。
「今からお話しすることは、王室の機密にかかわります。決して他言をなさらぬように」
 私は思わず身構えた。
「ま、待ってください、私は王室のゴシップに興味はないです!」
 こういう話に耳を傾けてはいけない、と近所のおねえに耳にたこができるくらい聞かされた。よくて詐欺、最悪命に係わる。百歩譲って彼らの言葉が真実だとして、王室の秘密を知って無事で済む庶民がいようか、いやいない。
「そんな機密をわざわざ教えていただかなくても結構――」
 コンサルタントは、私の訴えを頭から無視した。
「現国王の第一王子にして唯一の王位継承権者であるスハイオルト殿下は、生身の女性に欲情できません」
「――はっ?」
 一瞬遅れて、不躾な反応をしてしまう。出てしまった声はひっこめられない。やっぱり不敬罪で逮捕されるかもしれない。いや、このおっさんが相手の場合は、単純に心証を悪くするだけか。
 それよりも、おっさんは聞き捨てならないことを言った。
「――つまり……どういうことですか?」
 コンサルタントは、地獄の番人のような邪悪な笑みを浮かべた。
「殿下は、すこしご趣味が変わっているのです」
「生身の女がダメだ、というと……」
 人形が好き……とか。人形相手に、夜な夜なしこしこやっている? ……なにそれキモイ。メディアを通じて接するスハイオルト様はイケメンだし、現実にも目の覚めるようなイケメンだとは聞いてはいるけど、さすがにその性癖はないわ――と思って、コンサルタントの次の言葉を待っていると、彼はもっと衝撃的なことをさらりと言った。
「死んだ女性がお好きなのです。生きた女性には心が惹かれない」
「最近の話だ。以前はまともな方だった」
 司祭(仮)が、顔を真っ赤にして口をはさんできた。
 大変な力みようだ。王子のことを変態だと思われたくはない、という気持ちをひしひしと感じる。よほど殿下を敬愛していると見える。
「そ、そうですか。それと私にどういう関係が?」
「おおいに関係があるっ!」
 羞恥が極まったのか。司祭(仮)が声を上ずらせ、太もものホルスターに手をかけた。いきなりの荒っぽさに、こっちが面食らう。
 怪しいコンサルタントが、うるさい犬をなだめるように、手を挙げた。
 しかめっ面の司祭(仮)は、衛兵よろしく直れの姿勢に戻る。
「大いに関係があります。イヴリナさん。王子はあなただけには反応した。だから我々は、あなたを王子の妃として迎えたいと思っています」
「――はいっ?」
 無礼なリアクション再び。声がひっくり返った。コンサルタントの話がいちいち衝撃的なのがいけない。礼儀正しさを貫けというのが無理だ。
 ずぶの庶民の私を妃に? それも孤児で身寄りもない。挙句の果てに、王子は死姦趣味ときた。なにその人身御供。庶民の分際で王子の嫁になれるだけでもありがたく思えということなのか? 名誉の戦死を遂げた軍人が、二階級特進するような話なのか? 私、まだ生きてるんだけど!
 助けを求めようにも適切な相手がいない。コンサルタントがダメなら司祭(仮)しかいないかなと思ってちらちらと視線を向けるものの、司祭(仮)は、おねしょがばれた小さな男の子みたいにつっけんどんな態度でそっぽを向いた。
 お前が動揺してんじゃねぇよ。動揺したいのは私だよ、と、内心突っ込みを入れる。
「待ってください。もしかして……あの痴漢が、王子……だったんですか!?」
 コンサルタントは得体のしれない薄ら笑みで頷く。一方司祭(仮)は、飼い主に忠実な犬ころよろしく、またくってかかってこようとする。
「王子に対して痴漢とはなんだ! 無礼がすぎるぞ!」
 彼のひどいテンパりっぷりのおかげで、私は逆に落ち着くことができた。
「この国の王子だろうが連邦政府首脳だろうが、痴漢は痴漢です」
「なんだと!」
「お言葉ですが、私は連邦政府に訴えることもできるのですよ」
 コンサルタントが「ふふっ」とおかしそうに肩を震わせた。
「イヴリナさん。我々は、なにもあなたとことを構えようというわけじゃありません。あなたが王子妃になることで、我々は王統の未来に希望をつなぐことができる、あなたはセレブの仲間入りだ。多少気に入らないところはあっても、あまりある利益があるはずです」
「女の子が全員お姫様願望の持ち主だと、思わないでください」
 少なくとも、私の人生プランの中には結婚の文字はない。
 手堅い職につき、出世して、ルナの有力な後見人となること、そして妹の幸せを見届けるのが、目下の私の目標だ。
 だから王子なんかと結婚している暇があったら、勉強して――
 と、ここまで考えて、自分でもあれっと思った。
 私の戸惑いを、コンサルタントも察したのだろう。口の端を厭らしく歪ませる。
「第二種国家公務員採用試験を受験されたのは、妹さんのためでもあるそうですね」
「……どうして、それを?」
「あなたが殿下に見初められ、それから今日ここで晴れてお会いするまでに、三日の猶予がありました。身辺を調査するのに、十分な時間だとは思いませんか」
 確かに。コンサルタントの言うとおりだ。
「それも踏まえてのご提案です。私たちはこの期に及んで未来の王妃の門地は問いません。与えられた選択肢は、事実上あなただけなのですから」
「本当にそうでしょうか」
 コンサルタントは癪なくらい堂々と頷いてみせた。
「妃になれば、あなたは公務員になった場合以上の社会的信頼を得ることができます」
「……そうですね」
「妹さんのご結婚を考えても、非常に魅力的な選択肢だと思いませんか?」
 私は唇を噛みしめてうつむいた。正論ゆえに、コンサルタントのドヤ顔がむかついてしょうがない。
 敢えて答えずに時間稼ぎをしていると、小癪なことに、コンサルタントもまた敢えて私の返答を待っている様子だった。
 じとっとした沈黙が流れた。
 そもそもコンサルタントは、こっちの意見なんて聞く気もないんだろう。当然のように、私が提案を呑むと思っている。安い女だと舐められたものだ。
 もし私が一人だけだったら、こんな腹の立つ提案は一蹴してやった。
 王子がわけのわからない性癖こじらせて、貴い血筋とやらが途絶えたとしても私の責任じゃない。王家がなくなっても、国家の運営にはなんら影響はない。
 けれど将来のルナの結婚を思えば、足蹴にするには惜しすぎる話だ。
 少なくとも世間は王子の変態趣味を知らない。王室も、全力でそれを秘匿するだろう。ばれたとしても、私まで変態だと思われることはない。むしろ悲劇のヒロインだ。ルナともども、不利益を被ることはないだろう。
「あなたには、我々の提案を咀嚼する時間が必要らしい。試験明けでお疲れでしょう。今宵はゆっくりお休みください」
 コンサルタントが、もったいぶって立ち上がる。
「待ってください。宿が――」
「チェックアウトの手続きは済ませました。荷物も移動させました。他にご用はございましたか?」
 ご用などない。私は口ごもる。我ながら、見苦しい悪あがきだと思った。
「では、また明日。色よいお返事を待っています」
 コンサルタントは返事も待たずに悠然と去っていく。まるで、返事なんて待つまでもないんだが、と言わんばかりに。