1-崩壊する最強の未来像-02

 宿の外はひたすらまぶしかった。
 私は半世紀ぶりに穴倉から這い出てきた隠遁賢者のように物々しく目を細めた。まっすぐに網膜を焼きにくる朝日の存在で、宿の入り口が東に面していることを知った。教会の尖塔が東北方向にちらっと見える。王宮もそちらの方向だ。
 緊張のあまり公共交通機関の存在を忘れ、まっすぐに王宮目指して歩き出す。
「おおい、お姉ちゃん! バス停はこっちだよ」
 ルナの呼び声で、我にかえる。
「どこいくの? そっちは市場だよ!」
「わ、わかってるんだから!」
 踵を返して改めてバス停へ――その出足を挫くようにルナが叫ぶ。
「あとさ、今日ぐらいファントムは置いてこうよ。持ち込めないでしょ? 没収されたらどうするの」
「~~~~~~~~!!」
 こっぱずかしさと試験への焦りで、ほとんど地団駄踏むようにルナのところに駆け戻った。ファントムのケースを渡すと、ルナは重みでいささかよろめいた。ファントムシリーズはだいたい重苦しいルックスで、見た目通りかなり重い。特に私の愛用する777は、「やみくもに重い」とか「無茶苦茶な疑似爆轟でも揺ぎ無き重量級」とか言われがちなファントムシリーズの中でもひときわ鈍重と評される。華奢な妹にはつらい荷物だ。
 ルナが気まずそうにえへへと笑う。天使のてへぺろだ。たまたま通りかかった知らないお兄ちゃんが、思わずといった感じでルナに目をやる。いつもの癖でメンチを切る。お兄ちゃんはさっと目を反らして、そそくさと逃げていく。
 そんな水面下の攻防を知らないルナが、心配そうに小首を傾げる。
「お財布は持った? 筆記用具は持ってる? 受験票は?」
「持ってる。持ってるはず」
「ほんとに?」
 ルナの疑いのまなざしで、また落ち着かない気分になり、肩掛け鞄の中をまさぐる。
「うん。全部持ってる」
「あればいいよ。いってらっしゃい!」
「いってくるわ!」
 気を取り直し、回れ右して歩き出す。
「終わったら、すぐに戻ってきてね。今日は一緒に買い物行こうね」
 なんて、うれしいことを言ってくれる。その言葉だけでテンションがマックスになる。いてもたってもいられなくなって、くるっと大回り。ルナのところにダッシュで戻る。
「うん! 買い物行こっ!」
 ルナが笑顔を引きつらせる。
「え、えと、今じゃなくて、ね? 今はテストを受けに行こう?」
「うへへ……今晩は、ルナたんと、しっぽりむちむちオールナイト……んはぁ……やべっ、よだれ出てきた」
「もう、お姉ちゃんったら……。ほら、ハンカチ。はやくいかないと、バス乗り遅れるよ」
 ルナのかわいいエキスがしみ込んだハンカチをありがたく受け取り、無言の圧力に急き立てられて、私は再びバス停に向かった。試験会場までの経路は昨晩のうちに予習済みだ。ま、しょっぱな道を踏み外しかけたわけだけど、ルナのおかげでこうして人並みに生きていける。持つべきものはしっかり者で愛らしい妹だ。ほんと、妹でなければ頭からかぶりついてよだれまみれにしたいくらい。

 王都という都市の構造は、実はそんなに洗練されていない。再開発のコストが大きいからだ。
 私たちの暮らすファーレンという王国は、眉唾な伝説の時代も入れれば四千年の歴史を持つ実は大層な国であり、実際二千二百年前の城壁の遺構が残っているところもある。そんな悠久の歴史と城壁の存在が、再開発の物理的な障壁となっているようだ。
 道を広げようにも新旧さまざまな城壁が行く手を阻む。
 国宝に指定された歴史的建造物の取り壊しには連邦政府の許可が要る。よほどの理由がない限り許可は下りない。下手に地面を掘ったら、どんな発掘作業が待っているかわからないので、地下鉄とかは当分無理だろうなーというのが、国民の一致した見解だ。
 王都の路地は、毛細血管のように複雑に絡み合っている。まるで迷宮。主な公共交通機関はバスだ。
 プライベートな交通手段として、他地域では一般的な四輪車はあまり普及していない。通り抜けできない路地が多いし、バスの運行を最優先にする意図があってか、王都の住民は取得要件の厳しい車庫証明をゲットしないと自動車を購入することができない。代わりに普及しているのはロードバイクだ。原動機付もいいけれど、一部エリアは自由に立ち入れないため、中心部では使い勝手がよくない。
 だから、歩いて試験会場に向かうのは、決して頓珍漢な選択肢ではない。所要時間とか、消費する体力とか、そういう基本を度外視すれば、十分有力な選択肢だ……
 などと都市の機構を真面目に考えながら、ルナのハンカチをクンカクンカしているうちにお目当てのバスがきて、目的地まで運んでくれた。
 バスは王宮の城門の前のロータリーまでしか入れないので、そこから先は歩いていくのだけど、この道のりが結構長い。
 王宮は王宮であって試験会場なんだけど試験会場ではないものだから、歩いていると、本当に自分がここに居て良いのかわからなくなる。
 時間の感覚も怪しくなってくる。
 一般の受験生は普通に時計を見ればいいんだけど、魔術系の技官志望にとって試験会場での時計はご法度だ。魔術師は、時間的・空間的自己の位置を一般人より数レイヤーは深く把握していなくちゃいけない。
 時計の持ち込みは受験票にも禁止と明記されている。
 本当をいえば試験当日会場に至るまでの時間確認もアウトだ。
 もっとも普通に生活していて時計を見ずに過ごすというのは難しいから、そこはあまり厳密に考えなくてもいいらしい。
 第一バスの運行状況で、嫌でも時間は把握できてしまうからね。
 とはいえ王宮の敷地に入ってからは、自分の認知能力だけを頼るのが安全だ。

 会場の講堂は、どこのオペラハウスだよ、と言いたくなるような青絨毯張りの広い空間だった。オペラハウスと違うのは、席の前にテーブルがあり、照明もずいぶん明るいというところ。やわらかな光を散らしている頭上のシャンデリアが全く照明として機能しておらず、ただのインテリアと化している。
 テーブルも座席も固定式だった。
 真ん中の席になったら厄介だなぁ、なんて思いながら、自分の受験番号の席を探す。ざっと見渡した感じ、受験者識別プレートがあるのはテーブルの端から二番目の席だけのようで、真ん中の席に割り当てられる心配はなさそうで、ちょっと安心する。
 自分の席にたどりついて、用意されていた象牙色のプレートをテーブルに打ち込めば試験の準備は完了だ。ここで席を間違えると、最悪の場合受験そのものがなかったことにされてしまうので、緊張の瞬間でもある。
 恐る恐る腰をかけてみれば、椅子のあまりのふかふか加減にぞっとする。
 こんなんで落ち着いてテストを受けることができるんだろうか。
 一度不安に感じはじめると、そればっかりに意識がいってしまってよくない。
 いつもの受験会場とのギャップの大きさが、もはや凶器だ。
 絨毯総張りな時点ですでにライフが尽きた感じがするし、テーブルだって、こんなつややかな濡羽色見たことがない、それも隅から隅まで磨き抜かれて顔も映りそうなくらいだ。そこはやっぱり歴史あるファーレン王国の官僚登用試験。会場からして王家の威厳を見せつけようという魂胆か。
 受験生はみんな、こんな高級家具に囲まれても動転しないセレブばかりなのか。
 私はとんでもなく場違いなところに迷い込んでしまったようだ。
 なんでもいいけど、椅子がふかふかすぎて落ち着かない。

 試験会場に入ってからは、トイレに行くにも神経を使う。時計がないのはもちろんのこと、時間の案内も一切ない。自分の時間認識を頼りにテスト前の諸々の雑用を済ませておく必要がある。
 一回耐えがたい腹痛が襲ってきて、トイレに行った。
 恐れ多くも王宮内で個室に籠城――なんて事態は絶対に避けたかったけど、意気込みだけでは生理的現象は如何ともしがたい。
 トイレから戻ってからは、自分の席で腹を抱えて丸くなっていた。
 その頃には、会場はさすがに人で埋まってきていた。それなのに私語はいっさい聞こえてこない。もうそこからして今までの会場と違う。
 みんな黙々と試験内容の最終確認をしている。それなのに私は腹痛でうんうんと唸っている。こういう視覚的な差が、一番心に堪える。
 やがて参考書を繰る音も聞こえなくなる。試験開始時の受験票に記載されている以外のものがテーブルの上に出ていたら、その時点で失格だ。
 オペラハウスの舞台――ではなくなんと言えばいいのか、前方にでんと掛けられた巨大な無地のタペストリーの右手に、いかにも大魔術師ですと言った風情の髭の長いおじいちゃんが出現する。あれがきっとこの会場の試験官だ。なにやら恐れ多い気分になる。
 テーブルに埋め込んだ象牙色のプレートが白光を帯び、手前の滑り止めから紙がぺろんと吐き出される。周囲からは、カリカリカリとさっそくペンを走らせる音が聞こえてくる。
 試験開始の合図はない。時間がきたと判断した時点で、解答をはじめる。
 試験官のおじいちゃんが、見かけによらずひょろひょろした声でアナウンスする。
「下書きが必要な者は受験者識別票を二回タップするように。なお解答用紙は設問ひとつにつき一枚のみで、再配布はありません」
 象牙色のプレートを試しに二回タップしてみる。なぜかブランクの紙が二枚出てきた。よく見たら、解答用紙も二枚ある。ようやく設問に目をやる。
『我が国における本草学の歩みと通商関税同盟との関わりについて概説するとともに、アーデン条約の意義を述べよ』
原始無政府主義ネオ・アナーキズムについて、成立の背景と王国がとるべき対抗策を論ぜよ』
 もっとこう、技術的なことを聞かれるのかと思ったら、思ったよりも一般職向けの内容でパニックを起こしそうになる。それとも、技官としての視座でなにか書けということか。
 周囲のペンの音が迷いを感じさせないので余計に焦りを感じる。

 私は寄せては引く腹痛に歯を食いしばりながら、必死に解答を綴った。試験時間は一二〇分。常識的な字の大きさと行間で書けば、時間内に余裕で書ききれる分量だ。よって合否を分けるのは中身のクオリティ。技官としての適性もはかられるのは火を見るよりも明らかなので、論旨は慎重に選ばないといけない。
 一問目については、薬草の取り扱い品目の爆発的増加がその後の医療革命をもたらした経緯を述べ、アーデン条約は生物の多様性を担保する唯一の枠組みなので、次の技術革新の苗床として不可欠、みたいなことを書いた。所要時間はおよそ六〇分。最初に戸惑っていた時間を入れても七〇分は経過していないだろう。
 カンニングを疑われない程度にちらっと左隣を見れば、なにやら数式が羅列してあって、口から心臓が飛び出そうになる。書き直す時間は、ない。
(平常心平常心平常心!)
 目を瞑って心の中で連呼する。手汗がやばい。解答用紙がぬちょっとしてくる。服に手のひらを擦り付けても手汗は止まらない。
 ひとまず手汗のことは諦めて、原始無政府主義ネオ・アナーキズムについて考え始める。最近活動を活発化させているテロ組織だ。ただし一つの巨大な組織を形成しているわけではなく、複数の組織が、ときに協調し、ときに対立しながら、横に緩やかにつながっている。
 その目的は「高度に標準モジュール化された共同体を基本単位とした新しい世界秩序の形成」だ。既存の国家の枠組みはもちろん、家族制も否定して、個々人の個性すら認めず、人間を徹底的に規格化しようと目論む。地域性・文化といったものを「効率的な国家運営の阻害要因」と決めつけて憎んでいる。
 要は極端な理屈をふりかざして破壊活動を繰り返す厄介な連中だ。
 設問からして、テロ対策についてなんか書いとけばいいだろう。連邦に所属している以上、テロリストの完全なシャットアウトは難しい。ならば入国自体は取り締まらずに、見つけ次第その場で射殺すればOKとか思いつつ、それは間違いなく人格を疑われるダメな解答なので自重する。同時に、なんか数式をねじ込まなきゃ、と焦る。これは技官の採用試験だ。一般職とは違うのだ。悩んでいるうちに時は刻々と過ぎていく。
 とにかく書こう、なにか書こう、と決意して、ペンを手にとる。解答用紙は手汗でぐちゅぐちゅだ。ペン先が触れたとたんに、じわっとインク染みがひろがる。
 ぎゃっと思って、そのまま腕を上げればよかったのに、なにを勘違いしてか腕を引いてしまった。
 ぐしゅ、ずるるるる
 インク染みのできたところを頂点に、紙がちぎれてよれていく。ペンを持つ手の下には、よれた紙の塊が。そして、今も盛大に噴きだす手汗を吸い込んでいく。
 肋骨の内側で、心臓が乱打している。口の中に不穏なすっぱさが広がる。歯を食いしばりながら紙をひろげなおす。紙はよれよれのしわくちゃだ。
 それでもなんとか書こうとして、ペンを立てたら、またずるっと手が滑って、解答用紙は真横にちぎれた。
 今度はびりっと、小気味よい音がした。
 いよいよ手の震えが止まらなくなる。耳の奥からザーっとノイズ音が湧いた。
『――なお解答用紙は一枚のみで、再配布はありません』
 というおじいちゃん試験官の冒頭のアナウンスが、頭の中でやけに大きく再生される。
 技官目指そうと決心した日のこととか、近所の親切なおねえのこととか、はじめてファントムをぶっ放した日のこととか、ルナの笑顔とか、いろんな思い出が走馬燈のように駆け抜けていく。
「ぐきゅるるるる」
 と、大きな音を立てて腹が鳴った。胃のあたりに刺すような痛みが走って、気がつけば私はテーブルに突っ伏していた。かなり冷汗がでていたらしく、テーブルにすら貼りついていられずに、どすんと床に落ちる。起き上がろうとしても、頭がぐらついて、腕に力が入らない。
 後ろと横の席の人が、ガタッと立ち上がるのがわかった。おじいちゃん魔術師のひょろひょろとした声が聞こえるけれど、そよ風のように頼りない。
 誰かに無理やり抱き起こされる。急に男の人の体臭が気になって、うっと吐きそうになった。なんとか堪えた。けれどそれが忍耐力にとどめを刺した。
 視界がブラックアウトして、次の瞬間、私は白いカーテンに囲まれた空間で横になっていた。