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 死ぬかと思った。

 どうせ俺の人生なんて高が知れてるし、はやく死んだほうが世のため人のため、といつも思っているけれど、実際に死にかけるとやっぱり死にたくない。現金なのはわかっている。でも痛いのも苦しいのも嫌だ。生から死へは一方通行っていうのも、なんか怖いしな。

 剣がいきなり発狂して手当たり次第にものを燃やしはじめて、なんだかよくわからないうちに島中炎に包まれた。「聖剣」さまのおかげで焼けずには済んだけれど、それとは別に生存に関わる重大な問題が発生した。

 酸欠だ。

 火の中に突っ込んでいったら最初に気にするのは火傷なわけで、先に呼吸を心配するやつはほとんどいないだろう。それどころじゃないからな。実際俺も火に包まれて初めて、周囲の燃焼現象と酸素を奪い合っていることに気づいた。

 どこまでもしつこく放火してまわろうとする剣に抗って、燃えるものがなさそうなところを探しまわった。けれど、もともと狭い島だ。そんな都合のいいサンクチュアリは存在しない。俺のはかない希望を叩き潰すように、剣は本来火がつくわけがない岩すら燃やす勢いで放火しまくった。

 やっとの思いで海岸にたどり着いたとき、底抜けに明るい熱帯のラグーンが目の前に広がっていた。どんよりとした異空間の空はなくなっていた。膝に手をついてぜいぜいと音を立てて息を吸った。そんな俺の背後で、巨大な薪がぱぁんと小気味よく爆ぜる音がした。

 燃え盛る森のなかから村人が奇声を上げて飛び出してきた。逃げてきたというより、テンションが高くなりすぎて飛び回っているといった雰囲気だった。
 村人は、海に向かって火を噴いた。やつの身長の三倍はある、でかい炎だ。

 なんで村人が焼けないのかとか、なんで火を噴いてるのかとか、そのときはまったく疑問に思わなかった。ただ闇雲な燃焼現象を目の当たりにして、貴重な酸素が失われる! と危機感を覚えた。俺は村人につかみかかった。村人は遊びかなにかと勘違いして白目をむいて死んだふりごっこをはじめた。とにかく頭にきた。でもすぐに頭突きをらって、そのあとのことはよく覚えていない。

 目が覚めたら病院にいた。俺が目覚めるのを見計らったようにアンジェリカが迎えに来て、病院から追い出された。以来、村人と一緒に、ニシェラ島のコンドミニアムの一室に収容されている。海の見える八階建て、鉄筋コンクリートのひなびた建物だ。旅情の欠片もない殺風景な1LDKで、景色がいい以外にはなにも見どころがない。

 小さなキッチンのコンロは壊れていた。代わりにこれで勘弁してくださいと言わんばかりに、真新しい電子レンジが置いてあった。冷蔵庫には誰のものともわからないビールが横倒しに突っ込んである。アンジェリカの仕込みだろうなと思ったけれど、本人はこの部屋に来る気配がない。

 そんななにもない部屋で、村人の保護監督をしながら待つこと一週間、ようやくアンジェリカが戻ってきた。どこに行ってたんだ? とこっちが聞く前に、アンジェリカは「もう昼食は済ませたかしら」と聞いてきた。

「待てよ。その前にいろいろ話すことがあるんじゃないのか?」
「そうかしら、『ごはん』よりも大切なことってなにかしら」

 と、ババアは猫なで声で言った。気持ち悪いくらいご機嫌だ。
 村人が「ごはん」というキーワードを聞きつけて姿を現したので(気づかなかっただけで部屋にいたらしい)、久しぶりにまともに外に出ることになった。

 ニシェラはジョバンニよりもずっと大きい島で、市街地は普通にコンクリ砂漠だし、ちょっと海が見えない場所に行くと、島だという気がしない。普通に街だ。
 アンジェリカはどこからともなく車を呼んで、海沿いのリゾートに向かった。いかにも南国といった風情のショッピングモールが道沿いにあって、近くにはリゾートホテルが林立している。わざわざ出張ってくるのなら、はじめからこの辺りのホテルに収監して欲しかった。

 ヤシの木の林を抜ければ、白砂の海岸が広がっていて、砂浜にはビキニ姿の観光客がいる――のかと思ったら、よく見ると大人も子供も全裸で徘徊している。
 それを見て、喉元まででかかった滞在先への文句をひっこめる。
 アンジェリカは涼しい顔でヌゥーディストエリアを通り抜け、赤レンガ敷きのオープンテラスまでくると、なんか適当に食い物買ってこいと命令してきた。言われたとおり、適当にタコスのチキンサンドを買ってくると、露骨に顔をしかめて、

「それ、口の回りがべたつくから嫌なの」

 と、文句をつける。けれど今日のアンジェリカはすこぶるつきのご機嫌だ。ここにはべたついた感じの軽食しかないよ、と本当のことを言い返しても、特に制裁を加えられることはなかった。

「は? あそこに一週間も引きこもってたの? 馬鹿じゃないの?」

 俺がほぼ引きこもり生活をしていたことを知ると、ますますご機嫌で罵ってきた。タバコをぷかぷかふかしながらだ。おかげでこっちは煙たくてしょうがない。

「だってしょうがないだろ、こいつ連れておちおち出歩けないだろ」
「そんなことないわ」
「いやだってさ」
「でも、あんたにしてはお手柄だったじゃない」
「島を焼き払ったことか?」

 真面目に答えたら、どういうわけか額にタバコの火を押しつけられる。

――――ッ」

 痛い! と思ってとっさに額をかばったけれど、冷静になってみれば、べつに痛くなかった。だけど理不尽なのは間違いない。
 アンジェリカが身を乗り出して、ひそひそ声で言った。

「これのことよ。よく拾ってきたわ」

 これ、が指示するものはすぐ隣に座ってチキンサンドを食い散らかしていたのだけど、まさか自分がこれ呼ばわりされているとは気づいていないらしい。近くのテーブルの子供が食べている巨大チョコレートサンデーに目を奪われている。

「はぁ……古代魔術の専門家で合ってたんだな?」
「まあ、そうね」

 アンジェリカははっきりしない言い方をして目を泳がせた。

「ちがうのか?」
「少なくとも、あんたのそれの使い方を知っている可能性はあるわ」

 アンジェリカは、そう言って、胸をとんと叩いた。俺もつられて胸に手をやった。正直、剣がどこに吸い込まれたのかは知らない。俺にはなにも感覚がないからだ。島を焼き払ったあの日以来、剣はうんともすんともいわなくなった。俺はまた「聖剣」を持て余した出来損ないの「勇者」に逆戻りだ。村人は本当に、この剣をどうにかできる能力があるのだろうか?

 ふとバイブレート音がした。アンジェリカがタバコをくわえたままバッグをまさぐり、スマホを取り出した。その瞬間、村人の視線がチョコレートサンデーからぎゅんとスマホのほうに向けられる。

 アンジェリカは、

「ああ、カレンさん!」

 と、言って立ち上がり、すたすたと行ってしまった。立ち去りぎわに、アンジェリカの声がちょっとだけ聞こえた。「――で、あの島の所有権は主張できそうですか?」

 あの島ってどの島だよ、ああ焼け野原になったロッポルの島か――あんな島、手に入れてどうするつもりなんだろうねぇ、と考えるともなく考えながら、残りのチキンサンドをほおばる。すると村人がえらく遠慮がちにつんつんとつついてくる。

「……なに?」

 飲み下して聞き返すと、村人は俺の声の大きさにびっくりしたみたいに、肩をすくめた。

「あ、あのな……」
「あれが欲しい? チョコレートサンデー。お姉さんがいないうちに買ってこようか」
「そうじゃなくてね、あのな、ええと」
「遠慮しなくていいよ、どうせあいつの金だし」
「ちがうの、おじちゃんもね、ぴかぴかひかるあの小さいのほしい……」

 申し訳なさそうにもじもじしているのだが、なんのことを言っているのかわからなくて逆に申し訳ない。

「あのな、ええと、おまえも持ってるだろ。ちっちゃくて、こうやって、こうやって、くるくるするの」

 たどたどしいジェスチャーをまじまじと見て、ようやくなにを欲しがっているのか察しがついた。

「もしかしてこれ?」

 コンドミニアムのカギ代わりに渡された真新しいスマホを見せてやると、村人は恥ずかしそうにこくりとうなずいた。

「ここでは買えないな。きれいなお姉さんにお願いしてみな。今なら機嫌がいいから買ってもらえるかもよ」

 すると村人は真顔になって、俺に聞いてくる。

「そういえば、おまえが『きれいなお姉さんに会える』って言うから、おれはついてきたんだ! きれいなお姉さんはどこ?」
「えっ?」
「それでお姉さんとおはなしするんだよね」
「うん、そ、うだね」
「おれもそれがあれば、きれいなお姉さんとおはなしできるかな」

 返答にこまっていると、真後ろからアンジェリカの声がした。

「きれいなお姉さんがどうしたの?」

 意味深に回り込んで席につく。村人がなにか訴えようとしたので、必死の目くばせでそれを阻止した。奇跡的にも、村人が空気を読んでくれて押し黙る。俺はアンジェリカに、モルモットとして最高に模範的な愛想笑いを向けた。

「なんでもないんだ。ところでアンジェリカ、話は済んだのか」
「ええ」

 アンジェリカは、食べかけていたサンドイッチの残りをあっという間に平らげて立ち上がった。

「行くわよ」
「ちょっと待って、まだ食べてる」
「さっさとしなさい、はやくしないとフライトに遅れるわ」
「え? いまから?」
「そうよ」
「こいつはどうするの?」

 俺は名残おしげに包み紙をめている村人に目をやる。

「もちろん席を取ったわ」
「どうやって? こいつ住所不定だし、たぶんIDなんて持ってない」

 アンジェリカは鼻で笑った。

「そんなものなくても、なんとかなるのよ」
「まじかよ」
「はやくしなさい、仕事は待ってはくれないんだから」
「仕事って……」
「いいからはやく!」

 そういえば、アンジェリカは八千万ゴールドを強奪したきりこれといった収入がない。小耳に挟んだ情報から推測するに、ロッポルの島の所有権を主張して売り払って金にするつもりらしいけれど、現金化には時間がかかるだろう。

 俺を一人前の「勇者」にするという重大な使命も残されている。というか、あのでたらめな力をどうやって収入に結びつけるのか、俺にはまったく想像ができない。でもアンジェリカには、なにか考えがあるらしい。

 ババアの冒険ははじまったばかりだ。

– 第一章 終 –