1-34

九発の残弾を早々に使い切ったアンジェリカは、熱い拳銃で手近な魚を殴りつけ、その勢いで得物をふっとばして素手になってからは、ランタン型の懐中電灯をグローブ代わりに魚を殴った。

 そうこうしているうちに、地面を突き上げるような縦揺れがきた。それも二回。魚もアンジェリカも立ちすくみ、双方意図せぬ休戦状態になる。
 島の中央部の大木から、大量の葉が巻き上がった。葉が吹き去った後には、岩山のような巨大な影が残った。

 魚がそれを見つけて「きゅぅ! きゅきゅぅ!」と、哀れっぽい声を出した。アンジェリカも眉をひそめて見守った。遠目に見て、それは無機物のようであったが、よく見ればゆるやかに呼吸していた。

 魚たちが奇声を上げて海岸のほうへと逃げていく。アンジェリカは――彼女の好奇心は、逆にそのいわおへと歩み寄った。

 すぐ近くの森に隠れて、よく見えない。
 そこに影がよぎって視界を遮る。
 観察の邪魔だ。

 逃げ遅れた魚の後頭部にストレートをらわせる。かわいらしい火花を散らして、懐中電灯という名のグローブはおしゃかになった。
 辺りは一気に暗くなった。魚は「ギャンッ」と叫んで、どこかに行ってしまった。不穏な揺れは続いていた。

 魚の悲鳴があちこちから聞こえてくる。木がなぎ倒される音もしていた。なにか巨大なものが、ここからそう遠くないところを弓なりに移動している。が、うかつにも明かりを失ったため、それを目視確認することができない。空はうっすらと白みはじめているが、森のなかは相変わらず夜の闇の深さに沈んでいる。

 アンジェリカは一瞬だけ己の軽率さを悔やんだ。けれど、すぐに明かりの代わりになるものを思い出し、胸元をまさぐった。彼女にとって、手元が怪しくてもタバコを吸うのは問題ない。火をつければ明かりにもなるし、一石二鳥……かもしれない。

 自分の思いつきのすばらしさに酔いしれながら煙草に火を点け、胸いっぱいに味わってから、言うほど明かりにならないな、と気づいた。

 でも、こんなに地面が揺れている最中に、ライターを点けっぱなしはできないし、火をつけるのに手ごろな枯れ枝なんておいそれと見つかりそうにない。
 どうしよう。まあいいかと思考停止していると、新手がタバコのか細い光目指してやってきた。ロッポルと違って、気配に重量感がある。

 警戒してじっとしていると、それは謎の機動で一旦気配を消し、いきなり

「いしつぶての怖いおねえさん!」

 と、至近距離から声をかけてきた。アンジェリカはびくっと肩をすくめた。けれど攻撃の意図はないとわかっていたので、すぐに落ち着きを取り戻す。人間離れして逃げ足のはやい、あの少年だ。

 彼はふたつ大きな荷物を置くと、また気配を消した。アンジェリカは慌てて呼びかけた。

「えっ? ――こら! 待って! 明かり! 明かりをちょうだい!」

 するとちょっと離れた木の上に光玉がわいて、こちらにとんでくる。アンジェリカは反射的にそれを受け取る。少年の気配はすでにない。

 申し訳程度に追いかけたが、深追いはしなかった。あれに追いつくのは、スズメを素手で捕まえるのと同じくらい難しい。それはそうと、彼はなにか置いていった。

 元の場所に戻ってきて、少年の置き土産を確認した。アンジェリカは驚いて光玉を投げ捨てた。明かりがぽてっと地面に落ちる。

「ユイリ!」

 ぐったりとした少女と、ゼリーに囲まれたなにかが倒れている。ユイリのほうは、抱え上げてちょっと揺するとうっすら目を開けた。

「ユイリ? これはなに? どうしたの? いったいなにがあったの!?

 だが、ぼうっとしていて呼びかけに答えない。ゼリーのほうは、胎児のように丸まった人型の影を包んでいる。ひょっとしてリタ? と、アンジェリカは思う。
 急いで外に出そうとして、ゼリーをかこうとした手をはたと止める。十分な設備がない場所で素人が下手に触らないほうがいい。傷の処置と一緒だ。

 木のへし折られる音が、心なしかこちらに近づいてくるようだった。
 アンジェリカはさすがに不安で居たたまれなくなって、音のほうに顔を向けた。ふわっと生臭いにおいが立ち上がり、ついで顔に噴きつけてくる。
 木のへし折られる音が、さらに近くはっきりとしてくる。
 ここは危ない、とアンジェリカの乙女の勘が警告を発する。
 彼女はユイリを抱え起こした。

「起きて! 移動するわよ」
「……アンジェリカさん……?」
「あなたは自分で歩いて。私はこれを運ぶから」
「……?」
「いい? 自分で歩くのよ!?

 生臭さが強くなる。
 目の前を巨大なものが鈍足で横切っていく。ずるずると地面をこする音から、なにかが引きずられているようだ。アンジェリカはユイリとゼリーの塊をかばって凝立した。黒く大きな影が通りすぎると、視界が急に開けた。辺りの樹木が根こそぎなぎ倒されている。異空間の鈍色の空が、さきほどよりも明かりを強めていた。アンジェリカは、間近を後退していく軟体動物の巨大な影を視界に捉えた。
 その足元を、さぁっと焦げくさい風が吹き抜けていく。彼女は嫌な予感に突き動かされて振り返った。

「はやく逃げろ!」

 と、闇の向こうからエイナルの声がする。アンジェリカははっとして、ゼリー状のなにかを担いだ。

「いいからはやく! そこをどいて!」

 声が聞こえるのと光が鋭く灯るのは、同時だった。悲しいかな、音速は光速よりも圧倒的に遅い。

 彼女も魔力もちの端くれだ。エイナルが巨大な影を焼き払おうとしているのがわかった。そしてそれに巻き込まれて消しくずにされる、一瞬先の自分たちの未来も見えた。

 なけなしの魔力はとっくの昔に使い果たし、武器もなくして雑魚相手に素手で格闘していた。そもそもあれに対抗する手段なんて、はじめから持っていない。

 お手上げだ。

 彼女は覚悟したので、なにもしなかった。できなかった。
 視界が真っ白に焼き払われる。その直前、彼女の前を人影がよぎった。

 

 

 穏やかな潮風を頬にうけて、アンジェリカはわれに返った。目の前に、熱帯の明るい砂浜が広がっている。

「ここは……?」

 辺りを見回して、彼女はひとりごちた。

「ジャンプしました」

 と、答えるくたびれた声がある。ユイリが足もとにうずくまっていた。ゼリーも寄り添うように転がっている。アンジェリカは半信半疑で聞いた。

「島の外に?」

 ユイリが力なく首を振る。

「いいえ、海岸まで飛んだだけ、同じ島です」
「でも」
「割れたんです、空が」

 アンジェリカは、いま一度辺りを見渡して、納得した。明るさが違うだけで、いままで徘徊していた魚の島だ。

「なるほど、空間が正常化したのね」

 同じ島である証拠に、焦げ臭いにおいが漂っていた。森は半分消滅していた。ずるずると動き回っていたあの巨大な軟体動物のせいだろう。
 残された森からは、ところどころに火の柱が上っている。それを見て、アンジェリカは顔をしかめた。

 振り返れば、間近にラグーンが見える。アンジェリカはその距離を目測した。火災に巻き込まれるのは勘弁だ。とにかく今は島から退避すべきだが、あのラグーンまで泳いで渡ることができるだろうか。ひと一人分はあるゼリーを担いで……。

 そんなミッション・インポシブルの実現可能性を真剣に検討していると、今度は海の方からバァン! とソニックブームのような爆発音が聞こえてきた。アンジェリカは内心舌打ちした。島もやばいが、海にもやばいやつがいる。つくづく運命の女神に見放されているらしい。

 なかば諦めて音のほうを振り返る。
 派手な水しぶきとジェットエンジン音をたてて、小型の船舶が波を切って走ってきた。
 アンジェリカは不審そうに目を細めた。
 けれど、ユイリががぜん元気を取り戻して立ち上がった。

「カレンさん!」

 そんな元気がいままでどこにあったのか、彼女は砂浜をかけていく。
 アンジェリカもしぶしぶ追いかけていくと、黒っぽい船舶は今は普通に水面を走ってこちらに向かってきていた。ユイリが力いっぱいに手を振った。

 船舶は遠目に見たのに比べて、近くで見るとずいぶん大きく感じられる。船が停止してしばらくして、上部のハッチが開き、ずんぐりとした人影が姿をあらわす。ゴムボートが無造作に投げ入れられた。
 ウェットスーツでぴちっと全身を覆った重量級の人影が、そのシルエットに似合わず軽やかにボートに飛び降りた。

 やがてボートはしずしずと浜辺にやってきた。

「カレンさん! カレンさん!」

 ユイリが興奮してカレンの巨体に抱きつきに行く。アンジェリカはのんびりとその後を追った。
 上陸したばかりのカレンが、なかば海に押し出されるようにユイリを抱えていた。

「あら、助っ人は連れてこなかったの?」

 アンジェリカは、へどろのようにまとわりつく疲労を一旦意識の外に押しやると、気さくと冷静さを装って声をかけた。カレンはユイリもろともアンジェリカに強力なハグをらわせた。

「下見よ下見。私って、むかしから石橋は叩いて叩き壊すくらい慎重なので有名なの」
「そうね、慎重なのはいいことよ……」

 アンジェリカは苦しげにうめいた。

「で、お宝はどこなの?」

 カレンは粛々と燃えつつある森に目をやり、そわそわと聞いてくる。アンジェリカはことさら残念そうに肩をすくめた。

「燃えてしまったわ。はやく逃げないと私たちもまる焼けよ」

 カレンも火の勢いを見て「お宝」の確保が絶望的なのを理解したのか、未練らしい未練はみせずにさっさとゴムボートに戻った。ユイリが金魚のふんのようについていく。アンジェリカもゼリーに包まれたリタを担いでそれに続いた。

 カレンの高速艇に収容されて、島を振り返ると、火の手が今まさに海岸に迫るところだった。
 アンジェリカは船の上で、のんびりとそれを眺めた。安心したせいか、無性にタバコが吸いたくなった。翼のように突き出している船べりに座って、残り僅かなタバコをじっくりと味わっていると、カレンがハッチから飛び降りてきた。アンジェリカは会釈した。

「ごめんなさい、ちょっと一息つきたくなったの」
「いや、ここで吸うのはいいんだけどさ」

 と、カレンは火にまれた島に目をやる。

「あの子たちは? アンジェリカさんの連れだって聞いたんだけど」
「ああ、エイナルのことかしら?」
「そうよ」
「大丈夫よ。彼は焼けないから」

 少なくともプロフスエウディゴの力を引き継いだ「勇者」はそうだ。もう一人の少年のほうはわからないが、古代魔術の専門家を探してこいと言った結果連れてきた人間だから、火の手から逃げおおせるだけの能力はあるのではないかと思う。万が一魔力なしで、なにもできずに焼け死んだとしたら、ご愁傷さまとしか言いようがない。

「えっ、魔力もちだったの? そうは見えなかったけど」
「手に入れたのよ、力を」

 私のようにね、という気取ったセリフから逃げるようにタバコを吸う。どこにあったのか、島影から三々五々とボロボロの漁船がでてきた。目を細めてまじまじと見ると、島でなんどか対峙たいじした魚たちが乗っている。

 卵嚢コアのための異空間が崩壊したせいで、もといた世界に戻れなくなったモンスターたちだろう。アンジェリカは彼らと拳で語り合ったのをすっかり無視して、忙しく金勘定をはじめた。ドラゴンや巨大タコに比べて希少性に劣るが、彼らも未確認の魔法生物であるには違いない。さて、これをどうやって金にしてやろうか――

 いきなりカレンが吹き出して、背中を思い切り叩かれる。金勘定にすっかり気を取られていたアンジェリカは、真顔のまま、ぶほっとむせた。

「あー、びっくりした! アンジェリカさん、いまのは冗談言ったのよね? 魔力なしで生まれたら一生魔力なしだよ。いきなり魔力もちになんてならないでしょ?」
「そうね」

 アンジェリカは、携帯灰皿に吸い殻をねじ込んだ。ここではおちおちタバコも吸っていられない。

「いまのはほんの冗談よ」