三年後、世界は終わる-1-04

 婆さんは俺たちのところまでやってくると、疑わしげににらんできた。問答無用でけんか腰な視線にほんのすこしだけイラっとするものの、アンジェリカはさっと立ち上がり好意的に握手を求める。

「はじめまして、マダム。アンジェリカ・マナマンです。リーチェルレッド現代魔術研究所で魔法生物を研究しています。彼はエイナル・リュンクベリ。私の助手です」

 そしてすらすらとうそを吐く。いや、うそではないかもしれない。名前と研究所の名前と専門は真実かもしれないし、俺の身分も知らないうちにモルモットから昇格したのかもしれない。

「ホフリーですじゃ」

 と、老婆がしわがれ声で言って握手にこたえる。アンジェリカがちらっと俺のほうに視線をやって意味深に顎をしゃくるので、なんとなく座っていちゃいけない気がして立ち上がった。婆さんは俺にもぶっきらぼうに握手を求めてきた。

 ぎこちないファースト・コンタクトを見届けたオーナーが、婆さんに椅子を持ってくる。小さな子供が座るような背の高い椅子だ。婆さんは杖をテーブルに立てかけ、危なっかしいしぐさで椅子に上った。アンジェリカと俺はハラハラしながら婆さんの一挙一動を見守っていたけれど、オーナーは無視して奥にひっこんでしまう。

 すぐにコーヒーのにおいがしてきた。婆さんがしわがれ声でものものしく言った。

「あれには関わらんほうがええ」
「どういうことかしら」

 アンジェリカがぞっとするくらいやさしい声で先を促す。婆さんは歯牙にもかけない。

「その身にエウディゴを飼っておる。人の心を忘れたのじゃて。関わってはならん。あれはもはや野獣と同じじゃて」
古代魔術エンシェントアーツの使い手が西の森にいるのは確かなのね?」

 婆さんは頑固そうに口をひんまげて、しぶしぶといった感じでうなずいた。アンジェリカが営業トークよろしく畳みかける。

「彼らが排他的なのは知っているつもりです。そのために助手を連れてきました。か弱い女の身では、やりたいこともままなりませんから」

 か弱い女のくだりで失笑しそうになったけれど、ここは口裏合わせておかないといけない。俺は腹筋と表情筋を総動員して真顔を作った。婆さんは、まるで災厄を予言する太古のシャーマンのように仰々しく首を振った。

「彼らじゃのうて、彼じゃて」

 アンジェリカが首をかしげる。

「一人しか生き残っていない、とマダムはおっしゃるのですね」
「いんや。もともとあれは一人だけじゃて」

 俺もアンジェリカもさすがにお互い顔を見合わせた。その専門家は三百年前から二百年にわたり島民と交流してきた。ひとりであるはずがない。もしそうだとしたら、そいつは――

「人間じゃない? あるいは禁術に手を出した魔術師の成れの果て?」

 アンジェリカが独りごとを言う。それを聞きとがめた婆さんが、

「いんや、人間だ」

 と、頭から否定した。

「かつて人間だったとしても、力に溺れて人ならざる者になることはありえます。ましてや古代魔術なら」
「いんや、人ではない」
「失礼ですがマダム、彼は人間なのですよね?」

 婆さんがいじけた子供みたいにこくりとうなずいた。俺たちはまた顔を見合わせた。婆さんは耄碌もうろくしているんじゃないだろうか。

 俺たちの理解力のなさにいらだったのか、婆さんは怒ってどこかへ行ってしまった。行ってしまったあとで、マッチョなオーナーが三人分のコーヒーを持って戻ってきた。

「あれ、婆さんは」

 と、接客を忘れてきょとんとしている。アンジェリカが淑女のふりをしてほほ笑む。

「貴重なお話を伺ったわ」

 オーナーはにっこり笑ってアンジェリカにコーヒーをすすめる。

「西の森にはかなり頭のおかしいやつが住み着いているんですよ」
「ええ、そうみたいね」
「ですから、みだりに近寄らないほうがいいですよ」
「ええ、みだりには近寄らないわ」

 オーナーのこわばった笑顔が、ちょっとほっとしたように緩んだ。が、アンジェリカは不意打ちじみた止めをさす。

「『彼』が一人なのか複数なのかだけ、さっさと確認することにするわ」

 オーナーは情けなさそうにがくっと肩を落とした。

「お客さん、危険なんですよ」
「知ってます。未知のものはいつだって危険」

 と、アンジェリカは取り合わない。

 しばらくしてオーナーは、こいつはやばい女なんじゃないかと気づいたようだ。

 どうしても西の森に行くと言うのなら、夜の森は避けてくれ、あとボートを借りるときには、死んでも文句は言わないと誓約書を書いてくれと念を押してきた。

「ええ、いいわ」

 ババアはあっさりサインに応じた。俺にも問答無用でサインさせる。モルモットに人権はないからな。拒否権なんて初めからないよ。

 アンジェリカはしょうもない女だけど、さすがに夜の森にふらふらと繰り出さない程度の良識は持っているようだ。夕食後、ババアは俺を連れていったん部屋に戻った。同じ部屋だった。アンジェリカ様は、やっぱり俺のことを路傍の石以下のなにかだと思っている。近くにいたほうが小間使いに便利だくらいに思っているんだろう。

 俺も特に文句はなかった。そのほうが金が浮くからな。休む暇もなく雑用を言いつけられるのも、家にいるときとたいして変わらないし、ババアの下着がそのへんに転がしてあっても俺は普通に拾って洗濯をするくらいには訓練されている。平常運転だ。

 部屋の真ん中のソファーに座ったババアは、さっそく俺にビールを持って来いと命じた。

「おい、飲みすぎだぞ。明日はボートに乗るんだろ?」

 さすがに心配になって忠告した。どんなボートを借りるつもりかは知らないが、俺はボートを操縦する気も操縦を覚える気もない。ババアが二日酔いとかになって、「代わりに運転しろ」とか言い出さないとも限らない。そんなリスクはできるだけ抑えたい。

「そうだけど、もう一杯くらいいいじゃない」
「俺は運転できないからな」
「ええ、そのつもりでいるわ」
「だったら二日酔いにならないようにしろよ」

 アンジェリカが得意げながらも顔にクエスチョンマークを浮かべた。俺はどうしようもなく不安になった。当然だけど、俺はアンジェリカのことをよく知らないし、アンジェリカも俺のことをよく知らない。ババアとのコミュニケーションは薄氷の上で辛うじて成り立っている。お互い気づいてないだけで、重大な齟齬そごが生じているような気がしてしょうがない。

「おい、しっかりしろよ」
「オーナーに運転させるわ」
「は?」
「あんたもさっさと寝なさい。明日は早いわ」

 そういって、アンジェリカ様は部屋を出ようとする。

「どこに行くんだ?」
「シャワーよ? あんたも一緒に浴びる?」
「えっ? ええっ?」
「ふふ、冗談よ」

 アンジェリカが鼻でわらう。スカートのすそをひるがえしてひらりと部屋から出て行った。

 あのおっさんが言っていた「魚」の鳴き声が至近距離から聞こえてくる。どっかの壁にくっついているのか。

 一人きりで部屋に残されると、とたんに不安になった。シャワールームはすぐ隣にあるはずなのに、水音はまったく聞こえなくて、余計にババアにだまされているような気がしてきた――もちろん、ババアのことを信じているわけではないけれど。研究員とかやってたくらいだから、あいつも魔力もちだ。俺のことをはじめから馬鹿にしてる。

 ――なんて、俺は落ち着かない理由を一生懸命他に求めていた。本当の原因は、ちゃんとわかっていた。

 アンジェリカ以上に頭のおかしいやつに会いに行く、しかもそいつのモルモットにされるかもしれないと知って、俺はちょっとどころでなくおびえているのだ。

 しかしこの展開は、俺の知っているシナリオに似ているといえば似ている。

(西の森っていうのが、最初のダンジョンなんだろうな)

 アンジェリカに言いつけられた仰々しい荷作りを終えた頃には、そう確信していた。より正確に言えばチュートリアルダンジョンだ。ここで「勇者」は冒険に必要な重要な武器を手に入れる。ラスボス討伐のためのリーサルウェポンの導入版ともいうべき基本の武器だ。

 だから大丈夫。なにも起きやしない――多少は危ないことがあるかもしれないけれど、俺は「選ばれし勇者」だし、最初の試練くらい難なく乗り越えられるはずだ。

 それでも手が震えるのはきっと、心の片隅で「本当に勇者なのか?」という疑問がくすぶり続けているせいだ。バグで剣を抜いてしまった一般人なら、当然ながら試練を乗り越えることができない。くそったれなこの世からあっさりとおさらばできる。それはそれでいいんじゃないの? 俺みたいな落ちこぼれはこのさき生きててもたかが知れてるからな。そもそもアンジェリカ様の気分次第で明日には死ぬかもしれない。

「はは……はははっ……」

 俺は無理して声を出して笑ってみた。そうしたらすこしくらいは楽天的な気分になれるかなと思ったけれど、そうでもなかった。自分のこわばりをどうしようもなく自覚してしまって、余計に惨めな気分になった――だけでなく、気がついたらババアが部屋に戻ってきた。

――なにを笑っているの、気持ち悪い子ね……」

 ババアは、不安で砕けそうな俺の心を無遠慮に踏みにじってくれる。魔力もちはこれだから嫌なんだ。わけのわからない方法で自分を鼓舞する必要なんてまったくなくて、はじめから与えられた力を無邪気に使っていればみんなに褒められる。本当に自分に価値があるのかなんて、悩むこともないんだろう。

 翌朝、アンジェリカは借りたボートの運転手を務めるようにオーナーに頼んだ。俺が最初に思った通り、オーナーも俺たちのどっちかが借りたボートを運転するんだと思っていたらしい。

「私たち、どっちもボートを動かせないの」

 と、アンジェリカはかすかに媚びを売って見せる。俺はうわぁあ――と思ったけど、おっさんにはむしろよかったらしい。一瞬だけど、顔をによっとさせた。

「もし彼さえよければ、私が運転を教えましょうか」
「無理です」

 俺は反射的に拒否した。子供の頃にカートで事故して以来、乗り物の運転はトラウマだ。ボートもたぶん無理だ。

 言下に拒否してから「しまった、ババアに殴られる」と思って構えるともなく攻撃に備えたが、アンジェリカは鷹揚おうようにほほ笑んだまま制裁の手を加えるそぶりを見せない。

「彼はいいのよ。他にやってもらいたいこともあるし」

 と、アンジェリカは意味深に目くばせしてきた。俺にはなんのことだかさっぱりわからない。

 結局オーナーは折れて運転手を買って出てくれることになった。

 アンジェリカが鼻薬を嗅がせたのは間違いない。じゃなきゃ、怖い怖い西の森に近づきたいとは思わないだろうしな。それに、呼び方が「お客さん」から「お嬢さん」に変わったし。ため息が出るくらい露骨だね。ま、このままババアのご機嫌が続いて、ついでに俺を放置してくれさえすればなんでもいい。

 出かけるんだったら早いうちがいいとオーナーは言った。

 俺もババアもそこは同感だ。森が暗くなるのは早い。むしろボートの運転のことで交渉していたぶん、時間をロスした。

 ところで、カレイド・イン・ジョバンニは丘の上にある。

 昨日は到着したのが遅かったからあまり意識しなかったけれど、結構いい眺めだ。圧倒的に青い空と不安になるくらい鮮やかな海が目の前にバーンとあって、海岸線からちょこちょこと人間の住み家が群れている。ジョバンニ島の家は白っぽくて、南国の強い日差しを力強く反射するので、どこか浮世離れしている。おとぎ話のようで、人が暮らしているという感じがしない。まるでジオラマの神様がカッとなって作った箱庭に見える。

 そんな景色を眺めていて、俺はふと、

「ボートを借りるんなら港の近くに泊まればよかったんじゃね」

 と思った。思っただけでなくて、ぼそっと口にも出していたらしい。いつの間にか背後にいたアンジェリカがふっと笑った。俺はぎょっとして振り向く。アンジェリカが偉そうに顎をしゃくった先には、俺が昨晩一生懸命まとめた冒険道具一式がある。ババアに言われたとおりに、荷物をまとめ直し、足らない分は今朝おっさんにお願いして分けてもらった。

 寝袋に行動食と非常食を一週間分、他にはザイルとかナイフも持たされたし、服もレインスーツにしろと言われたし、そのくせババアはハイヒールにワンピースだし。俺だけ山登りさせられるような装備なのは納得できないけど、これもきっとなにかの実験なんだろう。

 もちろん着替えも持っている。なにがあっても濡れないように、と念を押された。ババアだから老婆心でも働いたか。アンジェリカに限ってそんなことはありえないか。

「出かけるわよ」

 ババアが号令すると、なぜかオーナーが「はいっ!」と元気よく返事をした。

 ババアはくそったれだけど、計画性はものすごくある。実際宿チョイスは完璧だった。カレイド・イン・ジョバンニは、おそらく島の中では森へのアクセスが最高の立地だ。なぜなら近くに川があって、そいつは町ではなく森のほうに向かって流れている。

 ちっぽけな木の桟橋に、育ちすぎた葉っぱの船よろしく白い船が所在なげに揺れている。

「ここから下っていけば森の端を通る。本当に行くんだね?」

 と、おっさんは船に乗る前に再度確認してきた。アンジェリカは当然のようにうなずいた。俺も右にならった。儀式を待つ生贄いけにえの気分だ。

 俺の顔色の悪さはおっさんの目にも明らかだったんだろう、同じくらい蒼白そうはくな顔で肩をたたいてきた。自分も精神的にいっぱいいっぱいなのに、俺を励ましてくれているらしい。

「あ、ありがとう……」

 小声でお礼を言うと、おっさんも小声で、

「君も大変だな」

 と、やさしく言った。おっさんの手が温かくて、俺はなんだか勇気をもらった気分になった。

 おっさんのエールのおかげかもしれないが、森への川下りは、思っていたよりも普通だった。

 川もゆるやかに森の中を抜けてゆく。急流もないし、ワンピース姿のババアも余裕で踏破できそうな感じだ。

 森は次第に鬱蒼うっそうとして、怪しい動物の鳴き声で満ちはじめた。それ自体は、むしろ俺をリラックスさせた。昔から動物は嫌いじゃない。動物は魔力なしだからといって差別したりしないし、人間よりもフレンドリーなくらいだ。

 逆に、人間の気配をまったく感じない。

(やっぱり百年前に死に絶えたんだよ)

 俺はそう自分に言い聞かせた。生きた人間を相手にするよりも、死んだやつのほうが百万倍気が楽だ。アンデッドみたいなのが出てくるかもしれないけれど、半分モンスターになったような連中のほうが俺には安心だ。

 川下りをはじめて二十分くらい経った頃だろうか。

 不意にチリっとした緊張感が頬をかすめた。が、それだけだ。はっと首を上げて、辺りを見回したが、森は相変わらず鬱蒼としている。ボートは規則正しいエンジン音を立てている。おっさんは悟りきったような顔でかじを取る。

 一瞬気のせいかと思ってうつむきかけたけれど、アンジェリカも警戒して顔を上げていることに気づいて、やっぱり気のせいじゃなかったんだと思い直した。

「来たわね」

 と、ババアが小声で言った。

「例の魔術師か?」

 と、俺はおっさんに聞こえないように聞き返した。ババアが弾かれたように立ち上がる。それと同時に茶色く濁った水面に黒い影が湧くのが見えた。

 それは、水流を無視してこっちにめがけて突進してくる。