宇宙人(仮)-04

 不幸中の幸いというべきか、司の学習能力はそんなに高くはなかった。よく言えば、立ち直りがはやい。

 せっかくだから良いところを強調していくスタイルでいこう。
 脳内設定が宇宙戦闘民族な星野司さんは、くよくよと過去のショックを引きずったりはしない強メンタル(ただし装甲は紙)の持ち主だった。その代わりといってはなんだが静かにお勉強するのはちょっと苦手で、移動教室なしの座学が四時間連続で続くとさすがに教室に飽きた。

 とくに三時間目から四時間目にわたり続いたコミュニケーション英語は、司にとって苦行以外のなにものでもなかった。ちなみに科目名はアレだけどコミュニケーション要素はゼロである。

 最悪だったのは、授業終了を告げるチャイムが鳴ってもなお、教師が授業と直接関係がないマシンガントークをやめなかったことだ。あいだの休み時間を潰された挙句、二時間座りっぱなし。その上、十分超の延長を余儀なくされた。
 おなかをすかせた高校生たちが抱いた怒りはいかばかりか。若人に昼食のおあずけを喰らわせることは、世界で最も危険な行為のひとつだと、ギルガメシュ叙事詩とかにも書いてあったはずだ。

 その危険を無意識に犯した英語教師・岡本のせいで、教室を満たす無言のフラストレーションは危険水域に達していた。フランス革命前夜の不穏な空気に似て殺伐としていた。大多数の第三身分(生徒)が、ごく少数の特権階級(岡本)の専横を憎々しげに見守っていた。というのも、校内の売店は昼休みの最初の五分が勝負なのだ。黄金の五分を逃した一年四組には、もうろくな食料は残されていないだろう。校外のコンビニに駆け込むとしても、分速一二〇メートル換算で往復八分かかる。貴重な昼休みにこの八分は惜しい。

 ようやく岡本の「オレが大学を一年休学して行ってきたワンダフル世界一周の旅・西アフリカ編♪」が終わり、一年四組はアンシャンレジームから解放される。売店組は起立とか礼とかする間も惜しんで教室から飛び出ていった。それに対して岡田は性懲りもなく説教を垂れようとしたが、お弁当組は無視してランチ仲間を探しはじめる。昼休みはもうとっくの昔にはじまっているのだ。

 ところで司は売店組だったが、かといって全速力で馳せ参じるほどのガチ勢ではない。どうせ今から急いで行ってもろくなものは残っていないのだ。

 ちなみにこの高校にはカフェテリアとかいう名前の小洒落た施設も存在する。入り口には券売機が置いてあり、カウンターの向こうで給仕のおばちゃんが忙しく働いていて、人気メニューはカレーうどんとカツ丼だが、あくまで学食ではない、カフェテリアだ。しかしなんとなく、下級生は立ち入ってはいけないような雰囲気がある。

 コンビニまで走るか、事実上三年生の専用フロアと化しているカフェテリアに侵入するか、二つにひとつ。

 司は思った。

(いざとなったら、コンビニに走るか。んで、昼からは地上絵の描き直しでもするかな)

 この時点で彼は、校門で不審者ふたり組に絡まれたショックのことなどすっかり忘れていた。一人が怖くて屋上に行けなくなった癖に、である。大した強メンタル(ただし、装甲は紙)の持ち主だ。

*

 宇座高校の普通科一年の教室は南校舎の三階と四階にあって、二年三年の教室とは別棟にある。さらに特進クラスは専用校舎があり隔離保護されている。

 南校舎の一階と二階は職員室や守衛室、校長室やなにかの資料室、事実上のパソコンルームである多目的室とその準備室という名のサーバールームがあったりして校内の安全保障上地味に重要なエリアだ。そして南棟とはロータリーを挟んだ北棟の東側に生徒用玄関があり、南棟と実習実験棟と第一体育館、特進棟と美術棟を繋ぐ渡り廊下があるため、東側の階段は利用者が多い。
 だから司はいつも西側の閑散としたほうの階段から屋上に出ていた。

 売れ残りの小さないちごジャムパンと、自動販売機で同じく売れ残っていたスポーツドリンクを持って、司は南校舎西階段をとぼとぼと登っていた。
 昼休みも半分が過ぎ、さすがに空腹が限界を超えている。いちごジャムパンは一包三二五キロカロリーで、一食分としては心もとない熱量だが、餓えに耐えるのも戦闘民族のたしなみだ。

 昼休みの浮かれたざわめきを背中に受けながら、司は四階からさらに一階ぶん階段を上った。スポーツドリンクを二口飲んだ。口当たりは爽やかだがのど越しはすっきりしなくて後味はべたっとしている。ジャムパンとは壮絶食い合わせが悪そうな予感しかしない。だが仕方がないのだ、と司は肚をくくって三口目を飲む。売店の勝負は初動で決まる。この敗戦の責任はすべて、授業を延長した岡本にある。

 階段の終点には南向きの大きな窓があって、明るくてよろしいのであるが、日射熱がこもって二学期も半ばにさしかかろうというこの時期でもじりじりと熱い。真夏ともなれば灼熱地獄だ。階段はさらに東に折れて五段あがり、鉄製の重い扉に行く手を阻まれる。それが屋上の入り口だった。ペットボトルを小脇にかかえ、ポケットから器用にヘアピンを取り出し、鍵穴に差し込んだ。
 司は手元に違和感を覚えた。
 鍵が開いている。

 司は眉をひそめた。ほかの生徒に踏み荒らされないよう、用事が終われば鍵はきちんとかけていくのだが……しかし、ヒューマンエラーはつきものだ。締め忘れたのかもしれない。

 サビついた外見を裏切るように、鉄扉はするっと音もなく開く。蝶番に油を差してあるため滑りは良好だ。むろん学校には無断なのだが、司はより快適な宇宙活動のために環境整備を怠らない主義なのだ。
 そして登っただけ降りる五段だけの外階段があり、降り立てば灰色の屋上砂漠。大切な宇宙への交信の場――

 ヘアピンを胸ポケットに突っ込み、ペットボトルを開けて四口目のスポーツドリンクを口に含みかけたところで、司はブッとそれを噴き出した。

 風雨で薄くなった地上絵を、真剣に吟味している不審者がいた。ただ、地上絵のそばにしゃがみこんで慎重に観察する姿は専門家然としており、態度は至って真面目だ。

 長髪をポニーテールに束ね、花粉用の高級品とおぼしき立体マスクで顔の下半分をすっぽり覆っている。制服を着ているくせに意味深な白手袋をしている時点で、生徒として絵面がかなり怪しい。しかも制服の下のインナーも首の根本まで上げる鉄壁の防御っぷりだ。

 司の制服の袖口が、襟首が、ペットボトルから溢れたドリンクで濡れて、べとっと肌にはりつく。彼はぬぐうどころかペットボトルをもとに戻すのも忘れて突っ立ているので、中身がとぷとぷと制服内に注ぎ込まれる。

 不審者が立ち上がる。
 地上絵を踏まぬよう、注意深く歩みを進める。
 不審者の身体が、扉の近くで立ちすくんでいる司のほうを向いた。司は身じろぎすることもできない。幸い不審者は司の地上絵に夢中で、こちらの存在に気づいていない。
 階下から誰のものともしれないざわめきが聞こえてくる。そのおかげで、息を止めなくても大丈夫な程度の音があるのは幸いだった。ペットボトルの中身はとっくの昔に空になっている。

 不審者は、しゃがみこんだり立ち上がったり、腕を組んでぶつぶつとつぶやいたりを繰り返しながら、おもむろに身体の向きを変えた。
 ちょうどそのとき、耳が痛くなるくらい大きな音でチャイムが鳴った。司は弾かれたように踵を返した。逃げるならいましかない。

 外階段を駆け上がり、鉄扉のノブに手をかける。扉が勝手に開いた。司は弾き飛ばされてしりもちをついた。そのまま手をついて立ち上がろうとしたら、

「あちっ!?」

 コンクリートが鉄板の上みたいに熱くなっていて、手をひっこめる。
 同時に殺気を至近距離に感じて、幽霊みたいな恰好のまま、恐る恐る視線をあげていくと――ローファー、ソックス、そして脚。スカートは短い。この角度だと中が見える。その柄は、黒地にピンクの水玉模様……!

 臙脂色の制服のスカートの上は、セーラー服。そして、極めて宇宙的な髪形をしたパンツ星人が、絶対零度の蔑みの視線を司に向けていた。

 片手に弁当入りのビニール袋ーーおそらく近くのコンビニで調達してきたであろう昼飯をぶら下げている。しかし、これからのんびり屋上ランチをする雰囲気ではない。彼女はなぜか、強大かつ危険なオーラを放っている。

 開け放たれた扉と、その枠に切り取られた踊り場から差し込むまばゆい光。それらを背景に威風堂々と佇むパンツ聖人の姿は、さながら、限定URカードが現実世界でドロップしてしまったかのように見えた。